こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
疎外された労働
なぜ仕事がつまらなくなり、時として仕事に人間が飲みこまれてしまうのか。
それを真剣に考えたのが、カール・マルクスという19世紀の経済学者でした 。
名前くらいは知っている人が多いかもしれません。私たち現代(近代) 人が労働から疎外された存在であると言っています。
どういうことでしょう。
彼は、人間というものを自然な状態の存在ととらえて、その立ち位置からすれば、お給料をもらってする仕事は、人間的な労働からかけ離れていると考えました。
それを3つの要素からみていきます。
ひとつめは「労働生産物からの疎外」という問題です。『プラダを着た悪魔』のアンディはファッション・ショーで出品されるような機能的でない洋服を着ることはありません。
チョコレートを例に考えてみます。これを読んでいる人で好きか嫌いかは別にして、食べたことがない人はいないと思います。
チョコレートの原料となるカカオの実は、アジアやアフリカの途上国でプランテーションという植民地主義に由来する多国籍企業の農園方式で生産されていますが、ここでカカオ栽培に従事している人はその味を知りません。
チョコレートを食べたことがない人がほとんどです。ただ先進国の消費者の嗜好に合うように規格化された作物を作らされているだけです。
つまりカカオという原料(生産物)を日本をはじめとする先進国のために、わずかばかりの賃金と引き換えに栽培しているのです。
その意味において農園で働く人びとは労働生産物から疎外されていることになります。
モダンタイムスでいえば、チャーリーが作ったものは会社の製品(生産物)として、お金を出してそれを買った消費者のものになるのです。
2つめが「労働からの疎外」です。アンディはミランダの指示に従っていて、こういうファッションの服をつくりたいという企画を出すことはありません。
また、カカオを栽培する労働者が、自分たちが食べるためであれば、味のよいカカオを育てて家族を喜ばせようと思うかもしれませんが、先進国の規格とおりにただひたすら生産して賃金を受け取る以外の選択肢を、彼らは与えられていません。
もし「このようなカカオの方がいいのだが」と労働者が経営者に申し出ればクビになるかもしれません。
自分たちのための仕事ではないという意味において、労働から疎外されていることになります。
『モダンタイムス』のチャーリーも創作アイデアはあっても、それを実際に作ることはありません。
労働の意味は自己ではなく、社長をはじめとする経営側が握っているのです。
3つめは、「類的存在からの疎外」です。
パリのファッション・ショーでは結果として、アンディは同じアシスタントである女性を裏切ってパリに来た報いを受けます。
そしてミランダから、「この世界で生きていくためには周りの人間を踏み台にするのは必要なことだ」と言われます。
つまりお互いに理解し協力しあう類的存在ではなく、つねに仕事の成果である業績を上げることが求められ、その際には他人を蹴落とすことも厭わないやり方を要求されます。
職場の隣人は、楽しい仲間ではなく、つねに競争を促されるライバル関係なのです。
工場の作業効率に適応した者だけが生き残り、チャーリーのようにベルトコンベアのスピードに追いつけなかった者は社会の「敗者」として弾き飛ばされていきます。
感想
お給料をもらってする仕事は、人間的な労働からかけ離れているという箇所がおもしろいと思いました。
そう考えると、現代の我々の仕事は労働ではなくなります。
下記の本を参考にしました
『体感する 社会学』
金菱 清著