こんにちは。冨樫純です。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
他人の欲望を満足させる義務はない
ところで、いったいどうやって 「土地にしがみつく頑固ジジイ」を擁護できるのだろうか。
不動産の効率的活用という観点からは、彼らが「無能な管理者」であることは否定しようがない。
国家の 「市場促進プログラム」が導入されたら、間違いなく最初の標的に選ばれるだろう。
たしかにスラム街を再開発して高級住宅地として売り出せば、これまでよりずっと大きな富が創造できるような気がする。
だがこの試みは原理的に不可能である。
これは人間行動学の領域になるのだろうが、ここでのポイントは、「だれが取引を評価するのか」ということである。
われわれの見解によれば、自発的な取引における唯一の客観的な評価とは、その取引の参加者が事前に得たものである。
取引が成立するということは、その取引の参加者全員が、拒否するよりも取引するほうが得るものが大きいと判断したからである。
もしそうでないならば、そもそも取引は成立しないはずだ。となると必然的に、取引の時点ではいかなる過ちも起こらない、ということになる。
もちろん、取引のあとには過ちは生じうる。
参加者の一方、もしくは双方が、取引終了後に評
価を変える可能性があるからだ。しかしそれでも、ほとんどの場合、取引は双方の要求を反映していると言える。
このことは、人類の進歩を妨害し、不動産の効率的な活用を邪魔する頑固ジジイとどのような関係があるのだろうか。
ここまでの議論から、「人は、自分よりもより生産的に不動産を活用できる人間に財産を譲るよう強制されるべきか?」という問いへの解答は明らかだ。
すべての参加者が利益を得ると考えたときに、はじめて取引は成立する。
だれかがそう考えずに取引が成立しなくても、そこにはなんら不正な点はない。 功利主義的な立場からしても、頑固ジジイが取引を断ったことは、ただたんに彼が不動産開発会社が提示した金額よりも自分の不動産を高く評価した、という事実を示すにすぎない。
個人間の効用や幸福を比較する科学的基準が存在しない以上(「幸福の単位」などというものはなく、人はみな勝手に比較するだけである)、「土地にしがみつく頑固ジジイ」が幸福を害していると主張する合理的な根拠はどこにもない。
もちろん、頑固ジジイの選択は土地開発業者の目的を妨害している。だが逆に、土地開発業者の目的は、頑固ジジイの目的を阻害しているのである。
頑固ジジイに、他人の欲望を満足させるために自らの望みをあきらめる義務などないことは明らかだろう。
感想
個人間の効用や幸福を比較する科学的基準が存在しない以上(「幸福の単位」などというものはなく、人はみな勝手に比較するだけである)、「土地にしがみつく頑固ジジイ」が幸福を害していると主張する合理的な根拠はどこにもない、という箇所がおもしろいと思いました。
まあ、だいたいの基準みたいなものはありそうですが。
下記の本を参考にしました
『不道徳教育』
ブロック.W 他1名