こんにちは。冨樫純です。
「裁判の特質」についてのコラムを紹介します。
紛争解決の最終手段が裁判だというイメージがありましたが、裁判にも限界があることを学びました。
人々の間に紛争が起きると、最終的に裁判で解決されることになります。
もちろん紛争が起きたときに当事者間で合意ができたり、あらかじめどのように紛争が解決されるべきか合意があれば、それで大丈夫です。
これは契約によって紛争を解決する手法です。
これでうまく解決できないとき、昔は、紛争が起きたときに、神のお告げをいただいて解決するとか、どちらに神のご加護があるのかを探って解決してきました。
しかし、やがて法の発展に伴って、裁判所が両当事者の言い分を聞いたうえで法を適用して解決するという方法がとられるようになったのです。
その代わり、裁判に訴えずに、実力で紛争を解決することは禁止されます。
これが受け入れられるためには、裁判が人々に公正な紛争解決方法だと信じてもらえる必要があります。
そのため、裁判は、両当事者が理を尽くして主張立証を行い、そのうえで、独立性を保障された裁判官が法を適用して、紛争を解決することが求められました。
しかも、どちらの言い分が正しいのかを判断するため、他の市民の判断を求める制度が形成されました。 それが暗審制です。
このような裁判は法システムに不可欠な役割を果たしています。
でも、社会に生じる紛争のすべてが裁判による解決に適しているわけではありません。
たとえば、誰がいちばんきれいかとかといった紛争のように法的な解決になじまない紛争は、裁判にはなじみません。
また、関係する当事者が複数で、紛争が網の目のようにからみ合っている場合も、裁判になじまないかもしれません。
そのような紛争は、むしろ交渉とか、投票などの多数決によってしか解決されないかもしれません。裁判にも限界があるのです
下記の本を参考にしました。
『はじめての法律学』HとJの物語
松井 茂記 他2名
有斐閣アルマ