とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

身体の売買は本当に禁止されているか?

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


身体の売買は本当に禁止されているか?

 


自己奴隷化や臓器売買はわれわれの多くが持っている直観に反する。

 


ここから自己所有権の批判者は、われわれが自分自身の身体に対して持っている権限は、「自己所有権」ではなく「自己決定権」とか「自律」とでも呼ぶべき非財産的権利であり、その中に自己の身体や生命を譲渡する権限までは含まれない、と主張するかもしれない。

 


つまり、生命や身体への権利は財産権と違って譲渡できない権利だ、というものである。

 


だがこの主張は、まずいくつかの点で限定する必要がある。第一に、身体の一部の譲渡も、無償の譲渡ならば許される場合がある。

 


たとえば血液や骨髄や腎臓の売買は禁じられていても、無償の譲渡は認められている。

 


いやむしろ奨励されている。するとここで禁じられているのは譲渡一般ではなくて有償の譲渡、つまり商品化ということになる。

 


無償の譲渡ならば構わないが、有償の売買は許されないとする論拠は何か?

 


その論拠はおそらく、人体の(一部の売買を認めてしまうと、それが「商品」として一般に取引されて「時価」を持つようになり、結果として、かけがえのない人体に対する特別な尊重の念が失われてしまい、万人の身体の安全が危険にさらされる、というものだろう。

 


しかし、これは、「風が吹けば桶屋がもうかる」に似た、こじつけめく議論に見える。かつて血制度があった時代人は他人の身体をあまり尊重していなかったと言えるだろう。

 


また、今日の裁判実務では生命や身体の損害について損害賠償の算定方法が大体決まっているので、人間の生命にはその限りで「時価」があるといえる。

 


しかし、だからといって生命と身体に対する人々の尊重の念が弱くなっていると言えるだろうか。

 


私としては、これらの問いに肯定的に答えにくい。あるいは人は、献血や腎臓の贈与における利他心の発露に強い価値を見出すため、その行動を減少させかねない有償の譲渡を禁止しようとするのかもしれない。

 


しかしそれは売買の自由を認めない根拠としては弱すぎる。

 


結局、無償の譲渡を許す場合に有償の売買を禁止すべき、説得力ある根拠を見出すことは難しいの

である。

 


この議論には用語上の混乱もある。ある財の有償の売買の許可自体は、それを「商品化」するわけではなく、その商品化を可能にしているにすぎないからだ。

 


臓器売買が許可されても、万人の臓器が商品になるのではない。自分の臓器を売りたい人が売りに出す臓器だけが商品になるのである。

 


自己奴隷化や臓器売買の禁止への第二の限定は、身体の全面的な譲渡は許されなくても、一時的あるいは部分的な譲渡なら許される、ということである。

 


これからの一生を他人の奴隷として暮らすという契約は無効でも、これから半年間に40時間ずつ他人の命令の下で働くという契約は有効である。

 


腎臓の売買が禁止されていても、毛髪の売買は可能である(もっとも昔と違って、今では自分の髪を売って金銭に換えようという人はほとんどいないらしいが)。

 


自殺契約は無効でも、自動車レースや格闘技のように身体・生命への高い危険を伴う活動の契約は無効とされない。

 


では有効と無効、放任と禁止の境界はどこで引くのか? 「契約によってこれ以上の義務まで認めてしまうと、本人の人間性を損なう」という発想がそこにはあるのだろう。

 


だが具体的な線引きはかなり恣意的に思われる。いずれにせよ、本人が自分の生命や身体へのかなりの制約や危害を引き受けることは認められている。

 


感想

 


無償の譲渡ならば構わないが、有償の売買は許されないとする論拠は何か?

 


その論拠はおそらく、人体の(一部の売買を認めてしまうと、それが「商品」として一般に取引されて「時価」を持つようになり、結果として、かけがえのない人体に対する特別な尊重の念が失われてしまい、万人の身体の安全が危険にさらされる、というものだろう。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


特に、かけがえのない人体に対する特別な尊重の念が失われてしまい、という箇所が曖昧だったところを上手くいい表していると思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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