こんにちは。冨樫純です。
独学で、憲法を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
あなたも裁判員
最近、「裁判員」 という言葉をよく聞きますね。 これも 「司法改革」の産物の一つです。
「司法への国民参加」という、いわば司法の民主化のための目玉商品ですね。
2004年に裁判員法というのが成立して、2009年5月から施行されていることは、読者の皆さんもよくご存知かと思います。
この制度は、あらかじめ抽選で裁判員候補者リス
トに載せられた成人した国民から、地方裁判所にかかっている刑事事件のうち殺人、身代金誘拐などの重大事件ごとに6名を担当裁判長が選んで、 裁判員として活躍してもらうというものです (高裁や最高裁には裁判員制は導入されません)。
似たような制度にアメリカの陪審制があります(なお、わが国でも戦前に陪審制が導入されたことが
ありますが、被告人が陪審制度を利用するかしないかを選ぶ仕組みだったこともあってほとんど活用されませんでした) 、陪審員と裁判員はちょっと違うんですね。
「アメリカでは裁判官1人に陪審員が12人 ( 12人の怒れる男」 というヘンリー・フォンダ主演の陪審ものの映画がありましたね) で、陪審員は有罪か無罪か (guilty or not guilty) の評決をするだけです。
死刑・ 終身刑といった量刑は裁判官が決めます。 これに対して、日本の裁判員は通常は6人で刑事裁判のプロの裁判官3人とともに、彼らの仕事の主要な部分の大半をこなしてゆくのです。
つまり事実認定法の適用、量刑といった刑事司法のプロセス全体に素人集団の裁判員も加わることになっています (この点ではドイツなどの 「参審制」にむしろ似ているといわれています)。
しかも、9人で行う評議 (判決の内容を決めるための話し合い) は多数決で決めます。
裁判官が最低1人は含まれる必要がありますが、 残りの裁判官2人が反対していても全体の5人以上 (つまり裁判官1人と裁判員4人) が賛成すれば有罪無罪、有罪なら量刑について決められます。
裁判官だけでいえば少数意見 (1人) が多数意見 (2人) に勝ってしまうこともありうるわけです。
このように陪審と比較すると裁判員のほうが素人の権限が大きく、その分だけ 「開かれた裁判所」 といえる度合いが進んでいるようにも見えます。
ですが、プロと同じ土俵で議論してどこまで素人が自分に素直に考えて意見をいえるのか、現実味にはちょっと疑問もあります。
それに裁判員が入る事件は、最高刑に死刑や無期懲役刑が用意されているような、殺人や強盗殺人などの重大犯罪だけです。
窃盗事件などはこれまでどおりプロの裁判官だけによる裁判が行われます。
感想
裁判員制度の賛否については、ぼくは反対派です。
一般人には荷が重すぎると思います。
下記の本を参考にしました
『いちばんやさしい 憲法入門』
初宿 正典 他2名
有斐閣アルマ