とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

本当の自己決定は可能か

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、憲法を学んでいます

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


メニューは豊富なほうがいい

 


自己決定権とは、心地よい響きの言葉です。

 


「個人A子は、自己責任で自己決定して自己表現したら自己実現した」

 


憲法が想定しているのは、いうまでもなく彼女のような人間像です。

 


各人がその思うところにしたがって、機会の平等の下に自分の夢を追求し、その成果を享受するのが13条の幸福追求権の保障するところです。

 


しかし、考えれば考えるほど、自己決定権には残された問題も多そうです。

 


第1に、自己決定といっても、いったい何について決めるのでしうか。

 


自分のこと、私事などなどでは、答えというよりは、問題のいい換えにすぎません。 しょせん人間は仕事や家庭、地域とのかかわりなど、どれをとっても社会生活者であって、他人とのさまざまなかかわり抜きでは生きていけません。

 


そんな現代人に、自己決定の可能性などあるのでしょうか。 むしろいろいろな関係にしばられながら、 自分のイメージをたくみに使い分けてそれぞれの人間関係で思いっきり自己実現するこれが現代における自己決定権の実際の姿のようにも思えます。

 


第2に、自己決定したつもりでも、選択肢の設定の時点で、実は自分以外のだれかが決めてしまっているのではないでしょうか。

 


それがデザイナーか渋谷の女子高生か、それとも国家権力と大資本の陰謀なのかはさておき。

 


たとえば、アメリカ映画のごく一部しか日本にはやってこないわけです。

 


日本でこれがアメリカ映画だと信じられている、アクションものやSFX ものばかりを配給元が輸入し、観客はただ「シネマ1に行くか2に行くか」 の選択の自由しか行使できないのが実情のようです。

 


自己決定権を真剣にいうのであれば、自己決定の対象となる選択肢がみえないところで狭められることのないように、とくにそれが何らかの政治的意図の下でなされることのないように、監視していく努力とそのための制度とが必要だということでしょう。

 


感想

 


本当の意味での自己決定は、現実的にはあり得ないのかもしれないと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『いちばんやさしい 憲法入門』

 初宿 正典 他2名

 有斐閣アルマ

 

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