こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
外部不経済としての公害問題
公害問題というのは、外部不経済の一例とされる。 市場の失敗の1つである。
外部不経済とは、ある人が他人に悪い影響を与えておいても、そのことに対して対価を払わないことである。
まず外部不経済がない通常の市場での取引例として、屋台でたこ焼きを買う例を考えよう。 客であるあなたは、代金と引き替えにたこ焼きを手に入れる。 屋台の主は、たこ焼きの代わりに代金を受け取って満足し、あなたはたこ焼きをおいしく食べて満足する。
もし客が代金を支払わなければ、屋台の店主はあなたにたこ焼きを売ってくれない。
市場における通常の取引は、両者がその取引について満足しているときにしか成立しない。
だからこそ、このような取引については市場に任せておいても問題は発生しない。
さて、公害の場合はどうであろう。
たとえば、大気汚染を考えよう。 ある工場でお酒を造っているとしよう。その際に、燃料として石油を使い硫黄酸化物を含んだ煙を排出している。
この煙によって近隣の人々が迷惑を被っている。
すなわち、その工場が他人に悪影響を及ぼしている。 しかし、工場は迷惑を受けている人たちに対価を支払わない。 大気汚染という悪影響を被る近隣住民に対して、工場が対価を支払わなくても煙を排出し続けることができるからである。
この場合、迷惑を被る住民は、対価を支払わない工場に対して、その煙の排出をやめさせることがなかなかできない。
代金を払わない客に対してたこ焼きを売らない屋台の例とは大きく異なる。
この場合、工場は外部不経済を生み出していると考えるのである。
以上のように考えると、外部不経済が発生する場合、市場に任せずになんらかの対応が必要とされることがよくわかる。 市場の失敗が生じ、政府による対策が必要になる。
ただし、公害のような外部不経済に対して、どのような政府であれただちに対策を講じると考えるのは少し単純すぎる。
日本の公害問題が深刻化した1960年代に、当時の政府や企業は当初、公害規制を厳しくしすぎて日本経済の発展が遅れることや、企業の利潤が下がることを懸念して、公害規制に後れをとった。
公害規制が十分に行われるようになったのは、公害に反対する運動や公害を批判する野党が力をつけてからであった。
しかし、日本のような多元的民主主義社会においては、国民の間に公害規制を求める強い声が生まれてくれば、それが政治を動かしていく。
感想
外部不経済の例として公害問題がよく取り上げられますが、その他の例がないのか気になりました。
下記の本を参考にしました
『はじめて出会う政治学』
構造改革の向こうに
北山 俊哉 他2名
有斐閣アルマ