とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

公共財とは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 公共財

 


たとえばある町の街路に街灯をつけるケースを考えてみよう。

 


市場に任せるとするならば、次のようなことになるはずである。

 


その町の街路は夜は真っ暗で危ないとしよう。 そこである人が「アルマ街灯社」という名の会社をつくることを考えた。

 


その町に街灯をいくつも立て、利用者から料金を徴収することを思いついたのである。 この町に住む誰もが 「夜道は暗くて危ない」と口々にいっていたから、みんなよろこんで料金を支払い、街灯づくりに賛同してくれるにちがいない。

 


そうなれば商売繁盛まちがいなし。

 


「アルマ街灯社」の設立を思いついた人は、契約を取るために、各家庭を一軒一軒回り始めた。

 


さて、住民の反応はどのようなものだろうか。 結論からいえば、ほとんどすべての人は契約に応じないはずである。

 


私がそこの住民であれば、次のように考える。

 


私が契約を結ばず、したがって利用料金を支払わないとしても、かりに街灯ができあがれば、私もまた利用料金を支払った人と同じように明るい道を歩くことができるにちがいない。

 


お金を払っても、払わなくても同じように街灯のともった明るい道を歩けるならば、どうしてお金を払う必要があるのだろうか。

 


そう考えて私は、「アルマ街灯社」とは契約を結ばず、利用料金も支払わないだろう。

 


「ただ乗り」をしようと思うのである。

 


ところが、私だけがそのように考えるわけではないことから、問題は生じる。他の住民もすべて、自分以外の誰かがお金を払って街灯を立ててくれれば、自分は料金を払わずにその街灯を利用できると考えて、契約を結ぼうとしないことが十分に考えられるのである。

 


そうなれば、「アルマ街灯社」には1円の利用料金も入ってこない。

 


これでは商売にはならないから、「アルマ街灯社」 という民間企業は成り立たず、結局、この町に街灯は1本も立たないということになる。

 


ある品物を手に入れたり、サービスを受けたりするためには、ふつうはその見返りにお金を払う。

 


ところが、なかにはそうした1対1の関係にならないサービスがある。

 


自分はお金をいっさい支払わなくとも、他の人が払ってくれて、それで自分も同じようにおこぼれにあずかれるサービスがある。

 


こうしたサービスを公共財と呼ぶ。

 


費用を払わず、便益だけを受け取ることのできるサービス、あるいは「ただ乗り」のできるサービスのことである。

 


このような性質をもつサービスにつきものの問題点は、すべての人が「ただ乗り」しようとして、つまりフリー・ライダーになろうとして、結局、サービスそのものが提供されなくなってしまうところにある。

 


町に街灯がつかなかった上の例も、街灯の明かりが公共財の性質をもっているためである。

 


「ただ乗り」 可能なサービスは、人々の自発性にゆだねていては供給されない。

 


それでは、町に街灯がぜひとも必要であるとすれば、どうすればよいのだろうか。

 


住民から税金という形で強制的にお金を集めて、それで街灯を設ける以外に方法はない。

 


要するに、強制力をもつ政府が登場して初めて、この町に街灯がともるのである。

 


こうして市場の失敗を是正するために政府の介入が必要になってくるわけである。

 


感想

 


公共財という考え方は、街灯だけではなく、道路もその例だと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『はじめて出会う政治学

 構造改革の向こうに

 北山 俊哉 他2名

 有斐閣アルマ

 

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