こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
冷戦構造と自由貿易体制
冷戦構造は、ドイツや朝鮮半島などいくつかの地域に分断国家をつくりだした。
敵対関係が冷戦にとどまらず、朝鮮戦争やベトナム戦争という熱戦に至った地域もある。しかし、戦後、世界大の戦争がなかったことも事実である。
米ソにとって、核兵器は平和のために必要なものであった。核兵器が戦争を抑止するという理屈はこういうものである。
相手側からの先制攻撃に耐え報復攻撃を実行する力をもつことによって、相手側に先制攻撃を起こしてもダメだと思いとどまらせるのである。
さらに、ソ連と対抗するために、アメリカは同盟関係の強化も重視した。
トルーマン大統領は冷戦の前線に位置するギリシャやトルコに対して援助を約束し、共産主義に対する防波堤としての西ヨーロッパの経済を回復させるためにマーシャル・プランを発表したのである。
さらには、1949年に結ばれた北大西洋条約に基づいて、西欧と北米の軍事同盟機構である北大西洋条約機構(NATO) が発展していった。
この条約は、 加盟国の1国ないし複数国に対する武力攻撃を全加盟国への攻撃とみなし、ただちに被攻撃国を支援することなどを定めることによって、ヨーロッパにおける武力衝突の抑止をねらったのである (集団安全保障)。
このような冷戦構造の中でアメリカは、日本に対しても経済援助を行うと同時に、日本と日米安全保障条約を締結して同盟関係を結んだ。
日本はアメリカの核の抑止力の下に置かれることになったのである。
第2の柱である自由貿易体制は、アメリカ合衆国の圧倒的優位を抜きにしては考えられない。
戦後のアメリカのように、軍事力、経済力、政治力などにおいて他の国を圧倒する国を、覇権国と呼ぶ。
当時のアメリカ産業の競争力は圧倒的に強く、1950年にはアメリカ1国だけで世界の総生産の40%を占めていたのである。
この経済力をもって戦後の経済秩序をつくりあげた。 安定した通貨体制や自由貿易体制という国際的な公共財を、アメリカ1国が提供したのである。
その秩序を表すのが、「関税及び貿易に関する一般協定(GATT) 」 である。
を目標に掲げた。その際のルールとは、無差別・多角というものであった。
すなわち、貿易に関して相手国によって差別をしてはならず、また問題が起こったときには2国間ではなく多国間で相談して解決をはからなければならないというものである。
それだけではなく、アメリカは進んで自国の巨大な市場を他国に開放し、自国で開発した技術も気前よく売った。
さらに戦争で経済が破綻した西欧や日本、あるいは経済力の弱い発展途上国が自国の産業を保護することには、一定期間目をつぶった。
覇権国の寛大さがここに見て取れるだろう。
もちろん、アメリカが単に利他的であったのではない。この寛大さの背景には冷戦があった。西ヨーロッパの経済が不安定になれば政治も不安定になり、ついには、親ソ的な共産政権が生まれかねない。
それを防ぐことは、長期的な世界の安定の観点からだけでなく、アメリカ自身の安全保障の観点からも、必要なことであったのである。
感想
この頃のアメリカは圧倒的な覇権国だったことを改めて学びました。
下記の本を参考にしました
『はじめて出会う政治学』
構造改革の向こうに
北山 俊哉 他2名
有斐閣アルマ