とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「デモクラシー」の変遷

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


デモクラシーの世紀

 


20世紀とはデモクラシーの世紀であった。

 


西洋政治思想の歴史において、デモクラシーは必ずしも肯定的に用いられてきた言葉ではない。

 


もともと「デーモス(民衆)の支配」を意味したこの言葉は、しばしば衆愚政治と同一視され否定的な含意を伴って語られた。

 


共和政が 「公共の利益が支配する政治」 であるとすれば、デモクラシー(民主政)は「社会の多数を占める貧しい人々の利益が支配する政治」 にほかならなかった。

 


ところが、デモクラシーの理念の評価は20世紀に激変する。 二つの世界大戦は、その大きなきっかけとなった。 第一次世界大戦の結果、戦争に破れたドイツ帝国やオーストリ・ハンガリー帝国だけでなく、ロシアでも革命が起こり帝政が終焉した。

 


軍事力のみならず、経済力を含めた一国のすべてが戦争に投入される総動員体制の時代に帝国はもちこたえられなかったのである。

 


第二次世界大戦の場合、デモクラシーと全体主義の対決という意味づけが、とくに途中から大戦に参加したアメリカによって強調された。

 


ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、そして日本の軍国主義は 「全体主義 」の概念の下に一括されたのである。

 


そして冷戦の開始後は、ここにソ連スターリニズムが加えられることになる。

 


戦争中には、戦場に送られる兵士はもちろん、銃後で工場労働に従事する女性を含め、多くの国民が戦争遂行のために動員された。

 


結果として、このことが選挙権の拡大へとつながっていく。

 


戦争に貢献する以上、政治的発言権も認められるべきである。 奇しくも古代ギリシアの場合と似た論理によって、戦争とデモクラシーが結びついたのである。

 


このようにしてデモクラシーの正当性は急速に高まった。

 


デモクラシ一の理念を否定する体制が、地球上から事実上なくなったのが20世紀であったともいえる。

 


とはいえ、その分、デモクラシーとは何かが曖昧になったことも間違いない。

 


その一方で急激に政治参加が拡大したことの意味についても、関心が集まっていく。

 


人々は本当に政治的な諸問題を理解し、適切な判断を下すことができるのか。 デモクラシーの担い手としての民衆の能力が問い直されたのである。

 


関連して、マスメディアの拡大によるプロパガンダ (宣伝) や政治的操作が問題視された。

 


中には、ヨーゼフ・シュンペーター のように、人

民には政治を判断する能力はなく、重要なのはむしろ、政治的エリートが人民の投票を獲得するため競争することであるというエリート民主主義論を展開する論者も出てきた。

 


デモクラシーの正当性が高まるにつれ、人民の統治能力への懐疑的なまなざしも強まっていたのである。

 


曖昧になったデモクラシー概念に対し、それとは別の概念を提示しようとする試みもみられた。 ロバート・ダールは「ポリアーキー」という概念を新たに作り出すことで問題の明確化をはかった。

 


彼によればポリアーキーとは二つの軸から成る。

 


一方において、言論、集会や結社の自由、そして政権をめぐる競争性が重要である。

 


ダールはこれを「自由化」もしくは「公的異議

申し立て」と呼ぶ。

 


他方において、政治参加の度合い、すなわち選挙権をもつ人の割合が問われる。

 


ダールはこれを「参加」 もしくは「包括性」として位置づけた。

 


二つの軸は相互に独立しており、一方が進展しても、他方は遅れたままということもある。

 


感想

 


デモクラシーという言葉自体も考え方も時代において変化していることを学びました。

 


特に、肯定的に捉えられない時代もあったことに驚きました。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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