こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 純粋な自分への憧憬
「優しい関係」を取り結ぶ人びとは、自分の周囲にいる他者の言動に対して敏感にならざるをえない。
したがってその関係は、他の人間関係への乗り換えを困難にさせる圧力をともなっている。
互いに感覚を研ぎすませ、つねに神経を張り詰めておかねば維持されえない緊張に満ちた関係のもとでは、誰もがみな持てる対人エネルギーのほとんどすべてをそこで使い果たす。
その関係のマネージメントだけで疲弊してしまい、 外部の関係にまで気を回す余力は残されていない。
こうして「優しい関係」は島宇宙化し、風通しの悪くなった内閉的な世界のなかで煮詰まってしまいやすい傾向にある。
このように他の人間関係への乗り換えが困難な閉鎖的な関係のもとでは、互いの間の対立点がひとたび顕在化してしまうと、それは取り返しのつかない決定的なダメージであるかのようにとらえられやすい。
それぞれの関係が島宇宙化しているため、 他の関
係のあり方と比較考慮することができず、したがって現在の関係を相対化することもできないからである。
むしろ相互配慮のレベルをさらに高度化して、対立の要素を徹底的に排除していかざるをえなくなる。
今日の若者たちは、純度100%という表現をよく好んで使う。
それらは「純度100%の私」であったり、あるいは 「純度100%の関係」であったりするが、いずれにしても純粋な自分に対する強いこだわりがあることだけは確かである。
日常生活における人間関係にも純度100%を期待してしまうのは、いつ、どこにいても純度100%の自分のままでありたいと強く願うようになったからだろう。
感想
「純度100%」という言葉をよく使うという。
本当だろうかと思ってしまいます。
ありままの自分にそこまでこだわっているのだろうか。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ