とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ユートピアとは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


都市化の議論と疎外論・共同体論

 


戦後の都市の経済活動は労働力需要を増大させていた。

 


大量の農民が農村から都市へと移住しはじめた。

 


都市の経済の拡大は日本社会に未曾有の人口移動を引き起こすことになる。

 


急激な都市化とともに、以前の金科玉条のような農村の「過剰人口論」は消えうせ、農村は「農民層分解論」や「農村の解体論」のもとに活発な議論を呼び起こすようになる。

 


日本人の就業形態は経済の高度成長と都市化で、「生業の世界」から「職業の世界」に大きく変わってしまった 。

 


都市化は何よりも人びとの生活様式の変化をもたらした。 そのさい、 L. ワースの「アーバニズム論」が導入され、さかんに議論された。

 


ワースのアーバニズム論は人口集積を越えて広がる都市的生活様式 に焦点をあてたものだった。

 


人びとの生活は経済的繁栄と新たな都市の生活環境のなかで、快適なばかりではなかった。

 


都市生活には予期した形とは違った苦労があった。

 


都市は豊かさばかりでなく、矛盾の集中する場所

ともなっていた。

 


地価の上昇は混乱した住宅街を生み出していた。

こうしたなかで、人びとは2つの相反する、それでいて密接に関係した「ユートピア」に思いを寄せていた。

 


1つは家のしがらみから解放された核家族の生活である。 日本の家は伝統的にさまざまなしがらみをもつものである。そのため、しがらみから解放される団地や郊外の住宅地での核家族生活は憧れであった。豊かで自由で気楽な生活である。

 


その生活は、洗濯機、炊飯器、テレビ、冷蔵庫などの耐久消費財の購入で実現されるものだった。

 


しかしこの新しいユートピアに思いを寄せる一方で、人びとは抜け出てきた故郷の生活を懐かし

むことになる。

 


伝統的な農村生活のなかで見いだされるユートピ

アとしての美しい故郷である。

 


つまり相反する2つのユートピアとは、産業化の先にある将来の 「豊かで幸福な家族生活としての「ユートピア」と、 そのなかでの失ってきた故郷への 「ノスタルジアとしてのユートピア」である。

 


これを社会学的に説明してきたのが、「疎外論」と「共同体論」であった。

 


都市での労働の厳しさと殺伐とした人間関係は「疎外論」の基盤であった。 その一方で、失われた人間関係の温かみへの思いが 「共同体論」の基盤となっていた。

 


こうしたなかで、K. マルクスの初期の著作が見直されていった。

 


マルクス主義社会学者は資本主義の危機の分析ではなく、共同体論や疎外論に関心を移していった。

 


マルクスの社会理論が高度成長期に研究者の関心

をとらえたのも、失われていく社会へのノスタルジアと都市での期待に満ちたはずの職場での現実の厳しさであった。

 


都市貧困や都市問題は事実としての貧困以上に、近代化を動機づけた言説だったのである。

 


感想

 


疎外論、共同体論という見方がおもしろいと思いました。

 


特に、労働の厳しさを「疎外」という言葉で現すのがそう感じました。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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