こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ポリス世界と『政治学』
現実のポリス世界とのかかわりにおいても、プラトンとアリストテレスの間には違いがある。
ソクラテスの刑死に衝撃を受けたプラトンが激しくアテナイのデモクラシーを批判したのに対し、アリストテレスはその現実を見据えて、自らの政治学を構築しようとした。
アリストテレスにとって、ポリスを離れて政治はありえなかったのである。
アリストテレスは「人間はポリス的動物(ゾーン・ポリティコン)である」といっている。
要するに、人間が人間としての本質を実現し、よき生活を過ごすためには、どうしてもポリスが必要だというわけである。
人間と比べるならば、自足した存在である神々にポリスは必要ないし、言語をもたない動物は善悪を知らず本能で群れを作るだけである。
とはいえ、何をしなくても人間がよき方向へと向かうわけではない。
外からの働き掛けが必要であり、ポリスの中での習慣づけが不可欠である。
それが政治術であり、その方法を教えるものとしてアリストテレスは『政治学』 を執筆した。
ちなみにアリストテレスは、どのようなポリスが最善であると考えていたのか。
彼にとって理想的なのは、互いの顔がわかるような社会であった。
その意味で人口や領土の点で巨大すぎるのは望ましくない。 「国土は一目で見渡せる」ことが条件であった。
同時に、自給自足できないのもよくない。 ポリスには、食糧を生産する農民、道具を作る職人、 物を取引する商人の他に、軍人、神官、そして統治や裁判を行う人々が必要であった。
それではポリスをポリスたらしめるものは何か。 アリストテレスは、徳ある市民が相互に支配することが大切だと考えた。
互いに平等な市民があるときは支配し、またあるときは支配される。このような相互支配をアリストテレスは政治的支配と呼んだ。
逆にいえば、平等者間の相互支配とは異なる支配もありうるということである。
たとえば、ポリスには奴隷が存在したが、アリストテレスは主人が奴隷を支配するのを優れたものによる劣ったものの支配として理解した。
ただし、この場合、支配は優れたものの利益のために行われる。 逆に親の子に対する支配のように、劣ったものの利益のためになされる支配もある。
アリストテレスは前者を主人的支配、後者を王政的支配と呼んだ。
ポリスの市民である家長は、 家の中では家族や奴隷を支配した。
その意味で、ポリスの公的空間では政治的支配、家の私的空間では主人的支配や王政的支配というように、アリストテレスは空間ごとに異なる支配原理を考えた。
プラトンと異なり、家族や私有財産を認めたアリストテレスであるが、徳ある市民は経済活動に従事してはならないと主張したように、財貨を追求する経済活動に対してあくまで警戒的であった。
感想
彼にとって理想的なのは、互いの顔がわかるような社会であった。その意味で人口や領土の点で巨大すぎるのは望ましくない。 「国土は一目で見渡せる」ことが条件であった、という箇所がおもしろいと思いました。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ