こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
デモクラシーの成立
東方の大帝国と比べれば、人口も領域も比較にならない小国家であったポリスであるが、そこにははっきりとした個性があった。
神話化された王の下に神官や官僚の巨大な組織が形成された古代帝国と違い、 ポリスにおいては一人一人の市民が政治的な意思決定に参加し、また戦いにあっては武器をとった。
要するにポリスには王もいなければ、職業的な軍人もいなかったのである。 市民たちは公共の広場であるアゴラに集まって民会を開催し、ポリスの運命を自分たちで決した。
このようなポリスでは、力による強制はありえなかった(そもそも職業軍人も警察官もいなかった)。
残された手段は、 言葉による相互の説得だけである。 互いに自由で平等である市民たちが、純粋に言語だけを媒介に意思決定を行い、その決定に自発的に服従する。
これこそがポリスにおいて最も重要なことであり、「政治」という言葉には、このような理念が込められていた。
もちろん、ポリスにおけるこのような特徴が一朝一夕に成立したわけではない。 スパルタと並んで代表的なポリスとみなされ、かつ史料が最もよく残っているアテナイに即して振り返ってみよう。
アテナイにおいても、その初期には王が存在した。 とはいえ、早くから軍事政治、祭祀の権限が分割され、やがて貴族が期限付きで最高職につくようになり、 貴族政に移行する。
貴族たちは終身の評議会を拠点に力をもったが、やがて自弁で武装して兵士 (重装歩兵) となる平民の発言権が高まっていく。
画期となったのは、ソロンの改革である (594年)。この時期、アテナイは深刻な社会的危機にあり、農民の中には借財を負って土地を差し押さえられたり、奴隷に転落したりする者が現れた。
しかしながら、このことは重装歩兵となるべき市民の減少を意味するため、 貴族たちにとっても放置できない事態であった。
ここで登場したのが立法者ソロンである。 彼は債務を帳消しにし、市民の奴隷への転落を禁止した。
結果として、市民と奴隷とがはっきりと二分され、以後、市民間における自由と平等が保障されることになる(逆に、主として経済活動を担ったにもかかわらず、奴隷は政治的意思決定から排除された。 女性についても同様である)。
続いて前508年にはクレイステネスの改革が行われ、それまでの血縁的な共同体のあり方に代わり 地縁的な原理に基づく集団組織であるデーモスの制度が導入された (デモクラシーの語もこれに由来する)。
この改革によって貴族による恩顧関係が清算され、 デーモスの制度を突破口に、 やがて将軍以外のあらゆる官職が抽選によって市民から選ばれるようになった。
ここに政治的意思決定を行う民会. 市民が参加して判決を下す民衆裁判とあわせ、アテナイのデモクラシーが完成したのである。
感想
デモクラシーの始まりを学ぶことができました。
古代ギリシャにおいて、既に現代の政治の原型が出来上がっている印象を受けました。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ