こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 個人と社会
社会学は、近代西欧に誕生した学問である。
近代西欧の社会は、それまでの社会とは明らかに異なっていた。
その特色を明らかにしようとして社会学の営みは開始された。
社会学 (sociologie)という言葉は、かのフランス革命以後活躍したフランスの社会学者 A. コントがつくりだしたものである。
近代西欧では、自然現象とは異なるものとして社会現象の独自性が明らかになるとともに、現象を認識する主体としての「個人」が明らかになっていった。
自然とは異なるものとしての「個人」と「社会」を認識するようになったところに近代西欧のユニ
ークさがあるし、このような考え方が、その後の科学的な〈知〉の基本的枠組みになっていったのであった。
したがって近代西欧を、「個人」と「社会」を発見した時代として特徴づけることができる。
近代西欧の胎内で誕生した社会学は、近代西欧が発見した 「個人」と「社会」 を出発点にして学の体系をつくりあげていく。
その歩みをラススケッチしてみよう。
社会学は、一方で個人の行為の分析をとおして、人間と社会を理解しようとするとともに、他方では社会そのものが個人に及ぼす影響力を分析しようとする。
たとえば多くの人がなぜこの商品を購入するのかという消費行動の分析や、非行、犯罪、薬物中毒
などの逸脱行動の分析は前者の例である。
これに対して近代国家に翻弄されたあげく、太平洋戦争の戦地へ赴いた日本の若者たちについての研究は後者の例である。
またM. ヴェーバーの名著 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (Weber 1905
1989) は、プロテスタンティズムのエートス (精神的雰囲気)という個人を超えた存在が、個人の行為に影響を与え、その結果ヨーロッパで資本主義が誕生したという説明であるからエートスという社会的なるものが個人の行為を制御するという優れた社会学的分析なのである。
かくて社会事象を説明するさいに、 出発点となるのは個人だとする立場と、社会だとする立場が発生する。
前者が社会唯名論 (方法論的個人主義)と呼ばれ、後者が社会実在論 (方法論的集合主義)と呼ばれる。
いうまでもないが、この社会唯名論 vs 社会実在論という2つの立場のどちらかに軍配を上げることはできない。
そしてこの2つの立場の存在は、社会事象の最適な説明が、それぞれの事象によって異なることを、はからずも示している。
感想
社会事象を説明するさいに、 出発点となるのは個人だとする立場と、社会だとする立場が発生するという。
どちらも直感的にも成り立ちそうだと思いました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ