こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
「勝ち組」「負け組」と社会階層
1990年代の後半以降、私たちの国の政策は、規制が少なく自由な経済活動がなされる社会をめざして、ゆっくりと舵を切っていった。
資本主義の経済体制のもとでの自由競争には、メ
リットとデメリットがある。
そのメリットとは、みんなが競いあうことによって、1人ひとりの努力が促され、社会全体が活発に進展していくということである。
そのデメリットとは、行き過ぎた競争が、勝者と敗者の間に大きな格差を生じさせるということ
である。
20世紀のアメリカは、このような自由競争の社会の1つの典型とみなされている。
アメリカン・ドリームという言葉が示すとおり、わずか一代にして何億ドルも稼ぎだす億万長者が人びとの憧憬の的になる。
かれらの多くは、はじめは石油、鉄道、海運、電気 やがて航空宇宙産業、通信、コミュニケーションそして今日ではIT産業・・・・というように、産業構造の変遷によって生まれた新規市場において、みずからの才覚で企業を起こした人たちである。
しかしかれらの成功物語の裏では、何百倍もの数の人びとが貧困レベル(最低限の生活が可能な水準)に満たない苦しい日常を余儀なくされ、ときには住む家さえ失い、路上でホームレス生活を強いられている。
もともと私たちは、その社会全体が生産する富の総量を分けあっているのだから、ひと握りの上層に富が集中するとき、それを埋めあわせるだけの数多くの貧しい人びとが生じることは避けがたい。
反対に、政府がさまざまな規制や扶助の手を加えて貧富の格差を是正すれば、社会はある程度まで平等になる。
しかし今度は、貧困生活に陥る可能性が減った分だけ、自由競争によって大成功を夢見る希望が減ることになる。
ところで、現代日本社会において「勝ち組」「負け組」という言葉葉が日常の会話でよく用いられるようになったのは、規制緩和の政策的導入とほぼ同じ時期(1990年代後半)のことである。
当初この言葉は、企業人向けのジャーナリズムなどで、企業(法人)の業績を説明するために使われていた。
つまり、ある市場や業界において自由な競争がなされはじめたとき、成功をおさめる 「勝ち組」 企業と、競争に敗れて旧来の地位を失墜させていく「負け組」 企業ができる、というような用いられ方である。
これが転じて、現在では1人ひとりの生活や人生の状態を表現するときにも、この「勝ち組」「負け組」という言葉が用いられるようになってきた。
このことは、私たちの社会が、企業の経済活動にとどまらず、産業社会を生きる個人の活動においても自己責任にもとづく成果の競争がなされる方向へと変化しつつあることを示唆している。
ここには、日本社会が20世紀アメリカのように、自由だが不平等な社会へのあゆみを進めつつある気配を感じることができる。
思い起こしてみると、「ヒルズ族」といわれる若い資産家たちがマスコミをにぎわしはじめた同じ時期(2000年代半ば頃)に、ブルーシートで覆われた 「住まい」で雨露をしのぐ、多数の路上生
活者の存在が深刻な社会問題としてクローズアップされるようにはじめた出来事なのである。
感想
「勝ち組」「負け組」という言葉が、現在では1人ひとりの生活や人生の状態を表現するときにも用いられるようになってきたという。
その理由が気になりました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ