こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
第2の近代におけるリスクへの対処
第1の近代では、生活設計の選択肢が限られていたので、リスクへの対処もしやすかった。
なぜなら、正社員、性別役割分業型家族というシステムが標準的なものとしてあったので、反実仮想しやすかったのだ。
私的には、家族のなかで夫が正社員として勤めていれば、家族生活にとっての大きなリスクは夫の死去である。
それに備えるために私的な生命保険が発達する。
そして、病気や、失業したときの当座の収入、そして, 長生きしたときのリスク対処のために、公的な健康保険、失業保険、年金などの公的保険も整備される。
第2の近代では、 職業や家族形態の選択肢が増大する。
その結果、反実仮想もさまざまなケースを想定しなければならなくなった。
その結果、2つの問題が生じている。
1つは、従来の社会保険では想定外のリスクが生じていることである。
代表的なものは、離婚である。 離婚して生活が苦しくなることに対して、それを保障するような社会保険は存在しない。
また、正社員になれずに、非正規雇用できわめて低収入で生活ができない状態になっても、公的社会保険は、存在しない。
つまり、家族や職業が多様化、そして、不安定化しているのに、それに社な会的に対処する仕組みができていない。
もう1つは、リスク対処できる能力がある人とない人の格差が広がるということである。
雇用が流動化し、成果主義が広がる。
企業の倒産やリストラがまれではなくなる。そのようなときに、仕事能力がある人は、たとえ失業しても、再就職や起業などによって、生活目標の再構築が容易だろう。
異性に対して魅力がある人なら、離婚されても、次の相手がすぐ見つかるかもしれない。
しかし、仕事能力や異性への魅力がそれほどなかった人は、リスクに陥った途端に、次の人生設計を立てることも、 当座の生活を維持することもできなくなる可能性が高まっている。
もちろん、仕事能力や異性に対する魅力をつねに磨いておくというのが、新しいリスク社会に対処するための個人のあり方である。
しかし、それに耐えられない人びとが出てくるときに、新しい形で社会的にリスクをヘッジする仕組みをつくりだすことが緊急の課題となっている。
感想
格差社会だと言われますが、リスクの対処にもそれが広がっているようです。
生きづらさを感じました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ