とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

人類の幸福とは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 人類の幸福とは

 


「人類の幸福」というとき、当然のことながらそれは「個人の幸福」というものとは区別される。

 


そのことはけっして個々人の幸福を大切に見な

いことを意味しているわけではない。

 


なにしろ、1人ひとりが幸福であってこそはじめて人類も幸福といえるのだろうから。

 


しかしそれにもかかわらず、個人の幸福と人類の幸福とは同じ水準でとらえることはできない。

 


社会学創始者の1人であるイギリスのH. スペンサー (1820-1903) は、後の社会学者 (とくにÉ.デュルケムやT. パーソンズ)からは、功利主義的であり 「契約における非契約的要素」を無視しているとして批判されてきた。

 


しかし彼自身は、功利主義者として有名だった思想家J. ベンサム の言葉である 「最大多数の最大幸福」という言い方に疑問を抱いていた。

 


すなわち、その理念は一見人類全体の幸福を志向しているようだけれど 中身は「単なるエゴイズム」と同じではないのか、と。

 


人びとはたしかに自分の幸福その定義が何であれ幸福をめざす。

 


しかし、てんでバラバラに個人が幸福をめざして、その結果もっとも多数の人間が幸福になれるのがよいとすれば、2つの問題が残る。

 


1つは、ゴネ得のような意味で「エゴ得」にならないか。たしかに、この世の中を見渡せばわれとわが身の利害ばかりを考えて 「ゴネる」人も少なくないし、最終的にはそうした言動がまかり通ってしまうこともある。 しかしこれではよくない。

 


エゴイズムは国家によってしっかりと規制されるべし、とスペンサーは考えたのである。

 


国家による規制がよいかどうかは議論の余地が残るとして、何かの制約はあるし、必要だ。

 


「最大多数の最大幸福」にはもう1つの問題が残る。

 


それは、「最大多数」とはいっても社会の成員のすべてが幸福ではないとすれば、必ず不幸な人間が残っているということだ。

 


感想 

 


「ゴネ得」という言葉がおもしろいと思いました。

 


最終的にはゴネた人が得をするのです。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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