とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

出版不況の原因

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


大衆社会・文化論的解釈

 


本離れ、活字離れについての記事では詳しくふれられることのない、「なぜ」の問いに対して一定の答えを提供する説明がなされることがある。

 

 

 

その1つの例が、大衆社会論と呼ばれる発想に近い観点からの出版不況や出版傾向の変化に関する解釈や説明である。

 


たとえば、1990年代末から2000年代初めにかけて刊行された、出版不況を主なテーマとする書物においては、しばしば次のような議論が見られた。

 


1970年代後半以降、日本の出版市場はひたすら大衆的読者を中心とした出版物が中心になってきた。   

 


これは、日本社会が大衆消費社会に変貌していくなかで、読者層自体が、かつての教養あふれる読書人階級から 「消費者」としての大衆的読者に変貌してしまったからである。

 


今や本は文化の精華を体現するものではなく、むしろ使い捨て (読み捨て) の大衆消費の1アイテムと化してしまった。

 


出版社や書店自体、商業主義 (コマーシャリズム)に走ることによって、利益を優先させ、このような傾向を助長させていった。

 


それは、一時的には売り上げを伸ばすことにつながるかもしれないが、長期的には粗製乱造の書籍の過剰供給となり、自滅的な不況状態を生み出すことにつながっていった。

 


古典的な大衆社会論は、近代資本主義社会の発展にともなう産業化、都市化、社会全体に浸透する消費市場やマスメディアの発達などが、伝統的なコミュニティを解体させ人と人との密接な接触を断っていったと主張する。

 


人びとは、かつての地域社会や階級社会のなかでもちえていた密接な横の連帯とそのような社会関係に根ざした生き生きとした文化とを失った大衆として存在するようになる。

 


大衆社会論の有力な一派であったフランクフルト

学派などが主張するところによれば、そのような、自ら文化を生み出す力を失った大衆が受動的に享受するのは、マスメディアを中心とした 「文化産業」が提供する「レディメイドの紋切り型」の画一的で商業主義的な大衆文化であるとされる。

 


この大衆社会・文化論については、従来、主に次の3点からの批判がなされてきた。

 


① 「大衆」ないし「消費者」の実態について実証データにも載ってとづいた検証が十分になされていない。

 


② 民衆が享受する文化の質やレベルに関して、きわめてエリート主義的なバイアスをもった判断をしている。

 


③ 「商業主義」 に走ったとされる文化生産者(「文化産業」と呼ばれることが多い) の実態について十分な検証がなされていない。

 


感想

 


出版不況の原因は、過剰供給にあることは間違いないと感じました。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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