こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
北アフリカ・北米インディアン・中国文化の中の性
「性役割」や、男らしさ、女らしさの文化的な規定性については承認はするが、同時に、あらゆる文化を通じて「男/女]の二項対立図式が普遍的に存在しており、また、そのほとんどすべてにおいて、男性の側が、文化を、そして女性の側が、自然を代表するという、男性優位型のものの見方が存在しているというのである。
この「男性優位主義」の原因について、それを、女が産む性であることからくる社会的差別の結果であると考える。
すなわち、出産という女の生理的機能と、しばしばそこから「派生」する女の「家庭」への拘束、さらには、息子たちと比較してスムーズに行なわれる幼時体験での娘と母親の同一化と、その結果としての女性役割の固定化の継承などである。
女性の劣位の原因が、育児への拘束にあるのだから、育児を男女共同の作業とすることで、女性の社会参加を拡大することの必要性をこそ、彼女たちは主張しているのだ。
すべての文化が、「男性優位主義」になっているかどうかという点については疑問があるのだが、確かに、人間の文化、とくに、近代文明が成立する以前の社会においては、「男/女」の二元論に立つものの見方が優勢なのは、事実である。
西欧語を例にとっても、英語をのぞけば多くの言語に「男性名詞・女性名詞・中性名詞」といった性による区分がある。
ここには、世界を「男/女」の二元論で把握する傾向が残存しているといっていいだろう。
現在では、あまり意識されてはいないが、もともとこの世界を、「男のもの」「男性的な領域」「男らしい事柄」と、「女のもの」「女性的な領域」「女らしい事柄」とに分類する傾向が存在していたのである。
文化人類学の調査研究によれば、こうした「男/女」の二元論による世界把握は、現在もなお多くの文化において残存しているという。
北沢方邦さんも、北米インディアン(「ネイティヴ・アメリカン」と呼ぶべきだろうか)、とくにナバホ族のコスモロジー(宇宙観)において、「昼=女性、夜=男性、黄色=女性、白=男性」といった宇宙像に裏づけられた区分の存在について述べているし、日本文化においても、「盾=女、鉾=男、舟=女、舵=男、琴=女、笛=男」といった、性的一対の構造が存在しているという指摘をしている 。
中国のいわゆる「陰陽思想」も、[男/女]の二元論による世界把握と深い関係があると思われる。[男=陽/女=陰]という二分法は、そのまま世界の分類と結びついているからだ。
フランスの記号論者であり、またフェミニストとしても著名なジュリア・クリステヴァの著書に『中国の女たち』(丸山静ほか訳、せりか書房)という本がある。
中国旅行の中で、クリステヴァは、父権的な神を軸にした一神教の西欧世界と比べて、中国社会における女性の位置が、女性であることの制限はあっても、さまざまなかたちできわだって確立されていることに驚いている。
感想
日本は男性優位の国として有名ですが、その原因が、出産という女の生理的機能と、しばしばそこから「派生」する女の「家庭」への拘束にあるという。
こういう見方がおもしろいと思いました。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社