とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「感覚」を重んじる若者たち

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 揺らぎやすい自分の根拠

 


近年の若者たちが希求する純度100%の自分とは、きわめて内閉的な志向をもったものである。

 


その純粋さとは、不純な社会と向きあうことで対抗的に研ぎすまされていく性質のものではなく、先天的な与件として存在する実体のようなものである。

 


先験的な実体であるから、言語媒介的なものであってはならない。

 


いわば言葉以前の生理的な衝動、あるいは身体的な感覚にその根拠が求められる。

 


したがって、自分の立ち位置について評価を下すさいもともかく自分はどう感じるのか、その直感にウエイトが置かれる。

 


「私が本当に感じているものは何なのか?」 それこそがもっとも重要な判断材料となったのである。

 


自分の感情や行為が妥当なものであるか否かは、かつては社会的な基準に照らしあわせて決まる側面が強かった。

 


しかし1990年代以降は、自分の生理的な感覚や内発的な衝動に照らしあわせて決まる度合いが高まってきたのである。

 


今日の若者たちにとって、「本当の自分」の根拠は生理的な感覚に潜んでいると感受されている。

 


だから、 R.N. ベラーラの表現を借りるならば、行為の価値基準としての 「『善くある (being good)』は『いい感じ (feeling good)』となった」のである。

 


「行為はそれ自身では正しいとも間違っているとも言えない。ただ、行為のもたらした結果が、 また行為が引き出したあるいは表出した「いい感じ」が行為の善し悪しを決める」 からである。

 


かつて、互いの関心や利害が相互に重なっており、まなざしがほぼ同じ方角を向いていた時代の若者たちは、たとえ各自が自由に振る舞ったとしても、その結果もまた重なりあう部分が大きかった。

 


それだけ人間関係に葛藤の生ずる蓋然性も低かった。 しかし、物質的な豊かさから精神的な豊かさへと社会全体の関心が移行し、若者たちもまたそれぞれが独自の方向へと「自分らしさ」を追求するようになっていくと、互いの価値観や欲求の内実も多義化してくる。

 


感想

 


確かに、最近の若者は「感覚」で判断している感じはします。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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