こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
自然科学との違い
自然科学との違いは、自然科学がほとんどの場合、実験科学であるという特色を理解すると容易に明らかになる。
そのような違いとして次の3点が浮かび上がってくる。
① 研究者と研究対象との分離可能性について
自然科学では多くの場合、分離可能であるのに対し、社会科学では分離不可能である。
なぜなら社会科学では、研究者もまた社会の一メンバーだからである。
もちろん異文化を研究する文化人類学者や企業
行動を調査する社会学者や、景気動向を計量分析する経済学者はいる。
しかし全体社会を対象とした場合、研究者が完全に超越的な観察者の立場に立つことは不可能である。
社会科学の場合、自然科学のように研究者が研究対象にいっさい影響を与えないことは不可能だといってよい。
②実験可能性について
自然科学は基本的に実験可能であるのに対し、社会科学では実験できることはまれであって、多くの場合不可能である。
つまり社会科学では、人間に悪影響を与えるような実験(たとえば人格に多大な影響を及ぼすような心理学の実験)や社会の活動水準を低下させるような実験 (たとえば景気を失速させるような金利政策の実施) は不可能であるし、やってはならないのである。
社会科学のなかで、数理的方法を駆使し、もっと
もエレガントな理論を構築している経済学においても、国民経済や国際経済を混乱させるような実験は不可能であるから、経済現象の予測の精度は、自然科学に比べてけっして高いとはいえない。
③客観的な測定可能性について
社会科学が研究対象とする文化や社会は、自然現象に比べて測定が不可能もしくは著しく困難である。
たとえば文化人類学者が取り上げる儀礼について考えてみると、儀礼自体は写真やビデオによって記録されるから、一見すると客観的に観察可能ではないかと思われる。
しかし儀礼の象徴的意味は、文化的コンテキスト(文脈)のなかで解釈されるから、研究者による解釈が入り込んでしまうし、その度合いも大きい。
言葉の意味についても同様である。
たとえば2者間のコミュニケーションが、話し手が受け手に対して好意を表明するものなのか、それとも嫌みを表明するものなのかについて、当事者によって理解が異なるため、ディスコミュニケーションを発生させるといった事例は、 言葉の理解の難しさを示している。
以上3点は、自然科学ではほとんど問題にならないことである。
かくて自然科学では、実験をとおした法則定立が容易であるのに対し、社会科学では法則定立をとおした理論 (命題) の発展に大きな困難がともなうのである。
ただしここから短絡的に社会科学が非科学的であると結論づけてはならない。
なぜなら社会科学においても、 データ収集の仕方や、 論理的推論の仕方や、文化的コンテキストのなかで意味を解釈する仕方が客観的であれば、導出された言明は十分に科学的な言明だといいうるからである。
単なる予言や占いとは、まったく違うものなのである。
感想
たしかに、実験がしづらい感じはしていました。
また、分離不可能というのもおもしろい指摘だと思いました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ