とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

公衆トイレから考える男女平等とは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


"公衆トイレ”から考える、実質的な「男女平等」

 


もう一つ、よく男性がおちいる思い込みに、「男女平等」を、機械的に男女「同じ」にすればいいと考える傾向がある。

 


「男も女もない」などといいながら、結局、女性を「男性なみ」に扱えば「平等」が達成されるという発想である。

 


問題はそれほど単純ではない。

 


男女平等を達成するには、じつは、ある意味で、「女性が産む性である」ということに十分に注意をはらう必要があるのだ。

 


ぼくは、実質的な男女平等を実現するには、まず、「産む性としての女性の保護」が必要だと思う。

 


しかし、これだけでは、女性の社会参加の幅を狭める結果になりかねない。

 


だから、「女性が産む性であることを口実にした差別や社会的排除を撤廃する」という、もう一つの条件が、同時に必要なのだろうと思う(もちろん産まない女性、産めない女性の存在を前提にしてのことである)。

 


残念ながら、これまでの性別分業社会では、女性の「産む性」への配慮や保護が、十分になされ

てきたとはいえない。

 


それこそ「生理休暇」などは、制度はあっても、なかなか取れない状況がある。

 


同時に、「産む性」であることを口実にした差別や排除は、野放し状況だ。

 


「女性管理職の70%以上が、子育て体験がない」というデータは、このことを如実に示しているのだろうと思う。

 


少子化の問題」などは、まさに、この結果として生じた事態だろう。

 


したがって、女性の社会参加の拡大とはいっても、現在は、まだまだ、女性にとって、「自分の能力を発揮するか、子どもを産むか」が選択肢になるような状況だ。必要なのは、女性たち(そして男性たち)が、「自分の能力が十分に発揮でき」しかも「子育てもできる」ようにするための条件の整備なのだ。

 


ぼくは、この話をするとき、よく〝公衆トイレ"を話題にする。トイレは、「男性原理」に従って面積も機械的に「男女平等」で作られていることが多い。

 


でも、これは実質的に男女平等になってはいない。たとえば、何か大きなイベントがあるときのトイレの混雑状況を見ればすぐわかる。

 


男性トイレは整然としているのに、女性のトイレには長い行列ができているからだ。

 


まあ、女性のトイレの文化を〝立ちション式〟に変えるというようなことでもないかぎり(あるいは、男性のトイレを"個室でする方式〟への転換もいいかもしれない。

 


小学校で男の子がウンチをしにくい状況があるらしいが、こうすれば解決するかもしれない)、トイレの面積は、女性用が3倍くらいあって、はじめて平等になるということだろうと、ぼくなどは思う。

 


こんなことを言うと、男性から「逆差別だ」というような声も出てくるかもしれない。

 


しかし、それぞれの能力が十分に発揮できるような条件を作って、そこからはじめて 「平等」の扱いがはじまるということだろうと、ぼくは思う。

 


そのための特別措置は、差別を超えるために必要なことであって、むしろ、現状を維持することが差別なのだ、と考えを転換する必要があると思う。

 


これは、男性にとっては、ちょっと悔しいことだけど、そのへんは、「男らしく」(?) フェアーネスの態度を貫きたいものだ。

 


感想

 


確かに、女子トイレは並んでるイメージがあります。

 


スペースも時間も男子より必要なのに、同じくらいというのは、不公平だと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


男性学入門』 

 伊藤 公雄

 作品社

 

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