こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 男の“勘違い”
それにしても、なぜ、男は、性差別に鈍感なのか。
その理由を考えるとき、男性の意識の中にある、男女平等をめぐるいくつかの〝勘違い〟があるのではないかと思う。
男性のよくおちいる勘違いの一つに、社会的・文化的な性別(ジェンダー)を、生物学的性差(セックス)の延長で考える発想がある。
「女性には〝母性本能〟がある」「女は〝子宮〟で考える」などといった言い方は、今でもよく耳にする。
われわれも動物の仲間だから、どこかに〝本能"といったものが残っているのだろうとはぼくも思う。
しかし、「人間は、本能の壊れた動物である」という岸田秀さんの説を、ぼくはけっこう好きだ(岸田秀『母親幻想』新書館)。
さまざまなデータが、「母性本能幻想」のウソを裏づけている。
ニコルソンの『男は女より頭がいいか』にも、いくつか面白い例が載っている。
霊長類の雌は学ぶ機会がなければ、母親としての十分な役割を果たす事ができない。
生まれると同時に母親から離され、母親の役目を直に知る経験がなかった雌ザルは、自分の最初の子どもを世話しようとはしない。
こうした例は、他の動物でも同様なのかもしれない。
動物園で育った動物の親は、子どもの世話の仕方を知らない、という話はよく聞くからだ。
母性とか(あるいは父性)といったものがあるとしても、それはむしろ子育ての実践の中で育まれていくものだろう。
生まれつきそうした能力を人間がもっているとは、ちょっと言いがたいのではないか、とぼくなどは考えている。
しかし、男性の多くが、女性に「母性」を過剰に期待しているところがあるというのは、残念ながら事実だ。
「女性というものは生まれつき手先が器用で、感情が細やかで、他人に対してやさしい(はずだ)」という思い込みは、けっこう多くの男性が抱いている。
しかし、これほど男性に都合のいい、勝手な思い込みもないのではないか。もちろん、女性たちは、個々人、それぞれ異なった個性をもった人間だ。
少なくともぼくは、手先の不器用な女性も、感情ブツギリタイプの女性も、他人にやさしくない女性もたくさん知っている。
母性本能などというものが、すべての女性に備わっているなら、幼児虐待の加害者がほとんど女性だということはどう説明できるのだろう(とはいっても、男性からの女性への育児の一方的押しつけが原因となっているケースが多いのも事実だろう)。
こうした男性の「母性幻想」は、「科学」の名前の下に正当化されることもある。
あるとき、ある医学博士から、こんな話を聞いたことがある。
「女性には母性本能があります。たとえば、女性
が赤ちゃんを片手で抱くときに、どちらで抱くか観察してごらんなさい。自然に左手で抱くはずです。お母さんたちは、何も考えずに心臓に近い方に自然に抱くのです。子どもに心臓の音を聞かせて安心させるためです。やはり母は強い、男には真似ができませんね」といった話だった。
ぼくは、アレッと思った。確かに、継続音が、赤ちゃんを寝つかせるのに有効なことは、ぼくも体験上よく知っている。
でも、左手で抱くというのはどうだろう。
というのも、ぼくも子どもを片手で抱くとき、左手で抱いていたからだ(〝父性本能〟が強いのかもしれない)。
そして、なぜ左手で抱くのか、気がついていたからだ。何のことはない、利き腕である右手をあけておくためだ。
だから、あちこちの講演などで女性の聴衆が中心のときには、「完全に左利きの人、赤ちゃんどっちで抱きますか」と質問することにしている。
いままでのところ、100%右で抱いていますということだ(もっとも、出産直後の調査では、左利きの人も左で抱くというデータもある)。
たぶん、この医学博士は、きちんと子どもを抱いて育てたことがないのだと思う。
しかし、赤ちゃんを抱いたことのない人たちにとっては、そして、母性幻想の強い人にとっては、ものすごく説得力のある「科学的」な話なのだろうなと思う。
感想
たしかに、母性本能幻想は根強い印象はあります。
なぜなのかは疑問ですけど。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社