こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
女性の権利の擁護をかかげる「フェミニズム」の動きは、19世紀の「社会主義運動」の中で、新たな展開をみせるようになった。
フランスの社会主義者、 フローラ・トリスタンをはじめとする「社会主義フェミニスト」たちは、すでに19世紀半ばの段階で、女性の参政権要求とともに、労働時間の短縮や、工場における保育所の設置、女性労働者への職業教育の要求などを公然と掲げはじめた。
しかし、この時期、社会主義という観点から女性の問題を総合的に整理してみせたのは、女性ではなかった。
カール・マルクスとともに、マルクス主義思想を確立したフリードリッヒ・エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』こそ、社会主義の観点からの女性解放論として、この時期において傑出したものだったといえる。
彼は、資本制システム(私的所有と搾取)が、女性差別の原因であることを、当時の古代史研究の成果(今ではその成果の多くが否定されつつあるが)をふまえて論証してみせた。
それはごく簡単にいえば、次のような理論展開をもっていた。
すなわち、動物においても人間においても、子どもの父親"を確定するのは難しいが、”母親"の確定はたやすいことだ。
その意味で、原始社会の人間の血縁関係は、もともと「母系性」であり「母権制」であった。
ところが、家畜の飼育(主に男性が担っていた)などにより、余剰の富が発生し、所有の形態が「共同体所有」から「私的所有」へと移行していく。
ここで、余剰財産の次世代への相続という問題が生じる。
相続の決定権は、「私的財産」の保持者である〝男たち"の側にある。そこで、父親である男にとって、自分の子どもが誰であるかを制度的にも確定する必要が生じる。
ここから、子どもは、母親によって出自が確定されるのではなく、父親が誰であるかによってその血筋が確定されるようになる。
こうして、人間社会は「母系性・母権制」から「父系性・父権制」へと変化したのである。
エンゲルスは、このプロセスを「女性の世界史的敗北」と呼んだ。
やがて、男たちにとって、自分の子であることに疑いがなく、自分の富の相続者に定められる子どもを女に生ませるという仕組みが完成される。
もちろん、血統をはっきりさせるために、女たちの婚姻外での自由な恋愛は禁止される。
かくして、「一夫一婦制」という名の、男性による女性の支配が開始されたというわけだ。
しかし、私的所有制度、資本制システムの破壊、すなわち「生産手段の社会化」によって、「一夫一婦制」という、私有財産に縛られた男性による女性への支配は終わりを告げる。
そこから、男女の個々人の自由で平等な関係が誕生するだろうというのが、このエンゲルスの社会主義へ向けての展望だったといってもいいだろう。
興味深いことに、エンゲルスは、女性問題についてばかりでなく、男性問題についても、『イギ
リスにおける労働者階級』などでかなり早い段階で議論している。
この点で、彼こそ〝最初の男性解放論者〟だったといってもいいのかもしれない。
とはいっても、社会主義者、とくに男性の社会主義者のすべてが女性問題について開明的だった
わけではない。
そもそも、エンゲルスの相棒だったマルクスも、人間解放を説く一方で、お手伝いさんの女性との「不倫」で子どもができたというエピソードがある。
ちなみに、この子どもを、自分の子どもとして育てたのは、何を隠そう、人のよいエンゲルスだった。
だから、マルクスと並ぶ19世紀の社会主義運動の旗頭だったプルードンが、次のような発言をしているのも、それほど驚くべきことではないのかもしれない。
彼は、「女性とは正義の荒廃である」と述べ、さらに「女性は隷従状態のままにしておくべきだ。
なぜなら、女性自身根本的に淫らだからだ。女性の居場所は結婚にしかない」と語り、「男女の能
力比は三対二、女性の劣性は治癒不能である」とまで書いているのである。
しかし、〝社会主義をかかげる女性運動〟は、こうした妨害にも屈せず、かなりの広がりをみせ
た。
感想
女性蔑視は近代以前の方が激しかったようです。
また、その頃から女性は闘っていたのだと思いました。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社