とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

宗教とジェンダー

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  宗教とジェンダー

 


現代社会では宗教への関心が全般的に低く、ジェンダーについての議論でも宗教動向が言及されることは少ない。

 


だが、現在、宗教界は従来のジェンダー構造を変革しようという動きと伝統的性秩序へ回帰しようとする動きが対立・混在し、 ジェンダーをめぐるせめぎあいの最前線となっている。

 


男性が教義を説き、儀礼を執行し、教団を運営

するという宗教の家父長的な体制はじつに長い歴

史をもっている。

 


「男が主で、女が従」とする性別役割分業は今なお厳然として宗教界にある。

 


しかし、1970年代から徐々に男性による宗教権

威の独占や性別役割分業構造を見直す運動が世界

中で広がった。

 


カトリックはいまだ女性司祭を認めていないが、聖公会では女性司祭実現に関する議論が始まり、各国で相次いで女性司祭が誕生し、現在では女性主教も実現している。

 


日本聖公会でも女性が司祭に就任することは長い間認められていなかったが、80年代後半から「女性の司祭を「望む」との声が信徒たちからあがりはじめた。

 


私たちは日本聖公会において女性の司祭が実現する日を待ち望んでいます。

 


「聖職として召された姉妹たちの働きを祝福してください」

 


これは、1994年に発足した日本聖公会東京教区内の「女性の司祭の実現を促進する委員会」が作成したリーフレットに記された祈りである。

 


推進派たちは、女性聖職者問題に関する集会を各地で開催した。

 


一方、反対派も「司祭はイエスの代理であり、男性でなければならない」「12使徒に女性はいなかった」などの理由で強硬に対抗した。

 


じつに10年以上にわたる運動と議論の末、ようやく1998年の総会において法規改正が可決され、一二月に最初の女性司祭が叙任された。

 


しかし、国内外ともに女性聖職者への抵抗が完全に解消されたとはいえない。

 


宗教界のジェンダー意識「女人禁制」もまた、女性の立ち入りを禁ずる聖地を長い間守っている宗教は少なくないが、その一つ、ギリシア正教は、聖山アトス山全体が男性修道院という認識から女性の入山を禁止する慣習を守ってきた。

 


2003年、欧州議会は男女同権に反するとして開放を求める決議を採択したが、聖職者たちは自治権が保障されているとして断固拒否している。

 


日本でも、修験道の聖地とされる奈良県大峰山

の登山道には現在でも「女人結界門」が立ってい

る。

 


その撤廃を求める声が今まで何度もあがってきたが、依然として女性の入山は禁じられたままである。

 


性差別撤廃に向けた動きが国際的な政策課題となるなか、宗教上の平等や開放を求める運動に対して宗教者たちは「伝統に対する干渉」「個人の信仰に対する介入」ととらえて、女性の信仰活動の制限を頑なに守り続けている。

 


さらに宗教界では、女性の社会参加や自己決定権の拡大、同性愛者権利擁護運動の活発化といったジェンダー/セクシュアリティ意識の変化に対して不安を抱き、家庭や社会秩序の空洞化への危機感から「良き伝統」「正しい共同体のあり方」として性別役割分業を復権しようとする動きが顕著になりつつある。

 


男女平等社会という未完の共同体を創出しようと

するプロジェクトにとって、宗教は今後も根気と

長期的な戦略を要する相手であろう。

 


これらの事例は、宗教の社会的影響力のなかで

もそのジェンダー観が中核を占めている事実を具

体的に明らかにする。

 


その「女らしさ」「男らしさ」についての言説が個人の内面を束縛し、神話や儀礼をとおして二項対立的ジェンダー表現に永遠性を与え、いかに共同体を支えてきたかなど、宗教研究が検証すべき課題は数多く残されている。

 


「男性こそ指導者」という宗教界の伝統は学問の

分野にも応用されてきた。

 


今日、ジェンダー・センシティブな視点からの問い直しは、宗教研究に従事する者にとって必須である。

 


感想

 


宗教家には男性が多いと感じてはいました。

 


また、宗教こそ、性差別が依然として残りやすいと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジェンダーで学ぶ社会学』  

 伊藤公雄 牟田和恵編著

 世界思想社

 

flier(フライヤー)