こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
目的としての闘争と手段としての闘争
ほかの人間と競い合うという状態が人間の「生」といかに切り離されたものではないのか?
そのことについてジンメルは、闘争がそれ自体目的となっている場合と、それが何かほかの目的の手段となっている場合との質的違いをもとに指摘する。
まず彼が問題にするのは、「敵意」「敵対心」あるいは「反抗心」といったものは、人間の心理の中心的核を形作っているということだ。
たとえば私たちは、親友が不幸に見舞われるとたしかに心配になる。
しかし同時に心配や同情といった心情とは全く違う何かが生じる場合も多い(どこかで親友のトラブルを楽しんだり、喜んだりする心情である)。
エゴイストとしての人間の本性とは、たんに自分さえよければ他人はどうなってもいいという事態だけを意味しない。
むしろほかの人間を自分より低い位置におとしめることによって、結果として自分の優位性を誇るという心の動きを示すことがある。
また、どんなに従順な人間でも、あからさまに「~しなさい」と断定的に他人から命令された場合は、それに逆らいたいという衝動が瞬間的に頭をもたげることを否定できない。
こうした指摘からジンメルがいいたいことは、「他者の否定」を経由することはまって人間が自分の独自性や個性を肯定的に確立しようとすることがとても多いということなのだ。
何か明確な理由があって反対や反抗がしたいわけではなく、自分が自分らしくありたいがために他人の意見や社会的モラルに反抗したくなる場合、ジンメルは闘争そのものが自己目的となっていると考える。
あるいはそれを「純粋な反対」と表現する(親にちょっとしたことでも注意されると逆らいたくなる「反抗期」の子供たちがそうであろうし、たとえばちょっと古いが、あの永遠の青春スタージェームス・ディーン主演の映画『理由なき反抗』がこうした感じをよく表わしているように私には思え
る。
感想
「他者の否定」を経由することはまって人間が自分の独自性や個性を肯定的に確立しようとすることがとても多いという指摘がおもしろいと思いました。
また、もう少し深掘りして、なぜこのように感じるのか心理学的な説明がほしいと思いました。
下記の本を参考にしました
『ジンメル・つながりの哲学 』
菅野 仁