とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

闘争の積極的意義

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 闘争は社会関係形成の力をもつ

 


競争や反対という要素が現実に統一や調和といかに結び付いているか?

 


たとえば資本家どうしの競争。

 


資本家個人どうしのレベルにおいては、この競争をとおして相手より少しでも多くの利潤を上げることが目指される。

 


個々の資本家の活動として、何か統一的な状態が目標としてめざされているわけではない。しかし、資本制というシステム全体のレベルでみれば、そうした資本家間の競争は、結果として社会の生産力を高めたり、より優れた商品開発が可能になるという状態をもたらすのだ(もちろんそうした資本の運動の結果、現実においては、環境問題や資源問題あるいは労働者の雇用問題、過重労働の問題などが引き起こされるという問題点も忘れてはならないのだが)。

 


また、夫婦の関係も同様の傾向がみられるとジンメルは指摘する。「明らかに不幸だった夫婦」だけにいさかいや不和がみられるわけではない。

 


どんなに仲のよい夫婦であっても調和的関係価値観の完全な一致のもとに夫婦生活が営まれるわけではない。

 


「ある程度の軋轢」はどんな夫婦にでも必ずみられる。

 


それは内面的に心が離れたり、もっと表面的には口論のかたちをとることもあるだろう。しかし「夫婦が争っているからといって、それだけで夫婦でなくなるわけでは決してない」

 


適度ないさかいや口喧嘩は、夫婦関係をよりよく維持するための不可欠な要素であるとジンメルは考える。

 


また闘争的関係がもつ積極的機能は、夫婦関係や家族関係のような親密な集団だけではなく、組織的集団においてもみられる。

 


たとえば、集団内において価値観や意見が合わない人びとに対して、「反対」という態度をとることがもつ機能を考えてみよう。

 


ふつうは反対という態度は組織を解体の方向に向かわせる力と考えられがちだ。しかしジンメルはいう、「反対「という態度」はしばしば、われわれを本来ならば我慢ならない人びととの共存をなお可能にする唯一の手段である」

 


同じ組織や集団のなかにどうしようもなくわがままだったり粗野だったりする人びとに対して、反対や批判という明確な態度をとる場合、私たちはそういう否定的な態度を媒介して彼らと関係している。

 


しかし何らかの事情でそうした態度が禁止されていたり、抑圧されていたりする場合、やがては「関係の解体」という「絶望の段階」へといたる。

 


ここでジンメルがイメージしている関係の解体とは、明確な争いや闘争によって関係が壊れるのではなく、だんだんその組織のメンバーが帰属意識をなくしたり組織を運営する気をなくしたりすることによって、組織の活力が低下するような状態のことだ。

 


考えてみればたしかに集団や組織が機能しなくなる場合は明確な闘争によって解体が引き起こされることよりも、闘争が顕在化しないで組織が衰弱するといったかたちで引き起こされることの方が多いのではないか。

 


むしろ組織のリーダーや方針に対して明確な反対の態度をとれたり、それに対する反論がオープンになされたりする方が、組織としての弾力性は維持され組織の活性化が図られるというわけだ。

 


感想

 


確かに、競争や闘争が組織を活性化する側面はあるとあると思いました。

 


切磋琢磨する感じですかね。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス