こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 恋愛という投資
女性にとっては、恋人・夫を通じた自己実現の契機に通じうることが、恋愛や結婚をより魅力のあるものにしている。
子ども向けのコミックでも、女の子向けでは恋愛・愛情ものがほとんど唯一のジャンルであるのに対し、男の子向けには典型的なジャンルとしてスポーツや怪獣・活劇もの、さらにはサラリーマン生活を描くものまであることは、女性の強い恋愛願望の根を考えるうえで示唆的である。
つまり、男の子にとってはスポーツでの成功や悪者をやっつけるヒーローであること、さらには仕事の場面で難局を乗り切ってサラリーマンとしてうまくやっていくことなど、現実的・非現実的とにかかわらず、自己の達成が物語のテーマとなっているのだ。
これに対し、女の子の恋愛マンガとは、ディテールはいろいろあれど、端的にいえば他者である男性への自己投企の物語である。
「白馬の王子様」の物語といえば戯画的に聞こえるが、恋愛を通じて、恋人という他者によってこのうえない幸福を受け取る物語にほかならない。
そしてそれは必ずしも「少女マンガ」の世界だけでなく、驚くべきことに性を赤裸々に描く最近のレディースコミックにおいてもそうなのだ。
しかしそれを女性の受動性・依頼心のあらわれと簡単に批判し否定するわけにはいかない。
自己の努力と達成によって人生を切り開くことができるというイデオロギーは男女を問わず一般的なもののようにも見えるが、しかし現実の私たちの社会には女性がそうした成功をめざすにはさまざまな障害が立ちはだかっている。
また能動的・自立的な女性像は、タテマエとしては新しい望ましさを備えてはいるが、現実には今も女性にもっぱら期待されるのは男性に対するフォロワーとしての情緒的役割である。
ひらたくいえば、現代の女性にとって、「キャリア・ウーマン」も魅力はあるが、そうなれる可能性は少ないし、だいいちそれでは男性に「モテなくなる」かもしれない。
このような状況のなかで、女性にとって今も「上昇婚」は疑われない規範である。
より望ましい社会経済的地位を、女性は自己の達成によってではなく、他者によって達成する道があることをよく知っている。
そして、社会的威信や権力、経済力のあること、あるいはその可能性があること(ブランド大学出身であるとか一流企業勤務であるとか)、「頼りがいがあること」などは女性にとって男性の魅力となることは一般的である。
それは必ずしも女性が物質的に弱いのではなくて、女性の「恋愛感情がしばしばそうしたかたちで水路づけられており、無意識のうちに信じて疑われないということなのだ。
女性にとって、男性を通じて自己実現を達成することは、情緒的であるべき女性役割規範を満たすと同時に自身を厳しい競争の場におく必要もなく、しかも男性の達成する成功の果実は自分も受け取ることができるという、二重三重に「おいしい」 戦略である。
つまり、女性にとって、自己の達成目標は放棄して、情緒的で緊密な絆を男性と取り結ぶこと、いいかえれば「恋愛にいれあげる」ことはある意味では理にかなった投資なのだ。
しかし残念ながら、非常に情熱をもやす時期が過ぎればそれは恋愛の定義からして必ず訪れることなのだが―こうした期待は必ず破れることになる。
しかも、こうした「他者まかせ」の成功願望は、近代の理想である個人主義的な達成の理念とは相いれない。
教育機会の平等化、そして、少なくとも若年層での就業の機会などにおいて女性の地位の改善のすすんだ現代においては、女性がこのような期待を抱くのは非現実的なのだ。
上昇婚規範は、法的にも社会経済的にも女性にはほとんどまったくチャンスが閉ざされていた社会・時代の産物であって、現代の女性が男性を通じた自己実現や上昇婚に固執するとすれば、自ら恋愛や結婚の市場を狭めるばかりか、現在の女性がやっと実現できるようになった幅広い人生のチャンスの可能性を捨て去ることになる。
感想
女性にとって恋愛が、重要視される理由が分かりました。
「上昇婚」という考え方が、無意識にしろあるようです。
下記の本を参考にしました
伊藤公雄 牟田和恵編著