こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題
大正期の恋愛観 処女性・純潔の絶対化
たとえば、恋愛が大きくもてはやされはじめた大正期においては、女性の側の「純潔」「肉体上の無垢」「処女性」がことさら強調された。
恋愛とは、江戸時代までのような「色・恋」とは違い、徹底した「プラトニック・ラブ」つまり聖性を感じさせるまでの男女の精神的結びつきを礼賛した。
そしてその原型は、すでに明治期の詩人北村透谷の恋愛に見ることができる。
透谷は、恋愛を、「現実世界とぶつかって敗退する自我の最後の根拠地」ととらえている。
そして人間が現実のしがらみや因習の呪縛(彼はこれを「実世界」と呼ぶ)から解放されうる理想的世界いわばロマン的世界(透谷の言葉では「想世界)として、恋愛が位置づけられている。
「実世界」での「労力義務等」に疲れ果てた「想世界の敗将」は、最後の拠り所をなにに求めるか。
それが「恋愛」なのである。
透谷にとって、恋愛は現実生活に倦み疲れた人間が、自分のロマンの炎を燃え立たせうる最後の可能性の砦なのだ。
それゆえ彼にとって、恋愛は決して現実生活と折りあいをつけられるものではない。
いわば現実生活の〈彼岸〉にあるロマン的世界の純粋型として恋愛はあり続けざるをえない。
だから透谷にとっては、恋愛は至上のものだが、結婚は、それがたとえ「恋愛結婚」であってもその価値は認められるものではなかった。
現実の生活においても、彼自身、大恋愛の末に結ばれた石阪美那子との結婚生活に挫折し、25歳の若さで自死してしまう。
やがて大正期になると、結婚にいたる大切な契機として恋愛を位置づける「恋愛結婚」論が生まれる。
また、恋愛そのものをめぐる議論も活発になり、なかでも、大正10年(1921年)9月から10月にかけて20回にわたって東京朝日新聞に連載された厨 川伯村の「近代の恋愛観」は大きな反響を呼び、大正期の恋愛論ブームの主軸となった。
大正期の恋愛論には、立場的には、恋愛を批判する側から逆に恋愛を賛美する恋愛至上主義まで幅広い違いがあるようだが、いずれの立場にも共通していえるのは、女性の処女性へのこだわり、性欲と精神の純粋性の二元性を克服しなければならないといった課題設定である。
現代の私たちにとっても、大正期に大問題とされたこうしたテーマがまったく軽視されているわけではない。
しかし、たとえば女性の処女性へのこだわりは、現代では大正期ほど関心の中心となるわけではないだろう。
こだわる人もいれば、あまりこだわらない人もいるという形で多様化している。
そうした点からみても、「恋愛」をめぐる考え方や感じ方はいつの時代も変化しているともいえる。
しかし人間の情愛の志向性にはやはり大きな共通性もあると考えることもできるのだ。
変化に着目することも必要だろうが、ある種の普遍的感情として恋愛をとらえることも必要だろう。
感想
日本での恋愛結婚の始まりは、大正時代にあるようですが、恋愛と結婚がどのように結びつくのかという疑問は残りました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ