こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題
キャラクターからキャラへ
「キャラ」という言葉も、私たちにとってすっかりなじみ深いものになっている。
友人や家族のあいだで、あたかもそれが当然とでもいうようにそれぞれが特徴に従ったキャラを引き受ける。
それは「メガネキャラ」といった容貌からくるものであったり、また、「Sキャラ」「Mキャラ」といった精神的なタイプを示すようなものであったりと、その設定の基準は千差万別である。
だが、いずれにしてもそこに共通しているのは、「キャラを作る」という表現を思い浮かべれば明らかなように、“演じる”という意識である。
その意味では、それはキャラクターと変わるわけではない。じっさい「キャラ」という言い方自体が、そもそも「キャラクター」の短縮形であり、二つは区別の難しいものだともいえるだろう。
しかし、コミュニケーションの実際という面からみるとき、そこにはやはり大きな違いがある。
それは、キャラがツッコミを前提にしているのに対し、キャラクターはそうではないということだ。
この場合キャラクターは、地方自治体のイベントやキャンペーンを盛り上げるために作られる図案、そしてそれを着ぐるみにしたものである。
いうまでもなくそれは、喜劇でのそれとは異なる。
しかしそれは、ある特徴を強調・誇張した架空の存在という点で本質的に似ている。
この場合、キャラクターは、みんなに「可愛い」と呼ばれ、親しまれる存在になることを意図して考案されている。
ところがイラストレーターのみうらじゅんは、その多くが“ゆるい”ものであることを指摘する(みうら2006)。
そこにあるのは、キャラクターを作る側の意図と受け取る側の意図のずれである。
作る側が、キャラクターが覚えられ、親しまれる存在になることを第一目的に考えたとき、そこでまず意識されることが多いのが、ユーモアを盛り込むことである。
たとえば、秋田のイベントで登場した「ナミー&ハギー」は、地元の伝統行事の「なまはげ」から名前をとって愛称化した2体のキャラクターだ。
そのダジャレをベースにしたセンスは、どこか古く、あまりにひねりのないものに感じられてしまう。
またその着ぐるみも、なんとなく詰めが甘くみえる。
だが、それで無視するのではなく、愛のあるツッコミを入れることによって、キャラクターは、別の側面で笑えるものに変わる。
要するに、そのおかしさがツッコミに依存したものになるとき、キャラクターはキャラに変質するのである。
人間同士の場合にも、その基本は変わらない。
感想
「キャラを作る」という表現を思い浮かべれば明らかなように、“演じる”という意識であるという箇所がおもしろかったです。
誰しも周りの期待するキャラを演じている面があると思うからです。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ