こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
就職難に苦しんだのは、幕末の武士だけではありません。
1990年代初頭のバブル経済の崩壊以降、「ニート・フリーター」問題が注目されてきました。
総務省統計局の『就業構造基本調査』によると、フリーターは、2003年には217万人と最高を記録した後、団塊の世代の大量退職(2006年)などもあり、2007年までは減少傾向を示したとされます。
しかし、2008年のリーマン・ショックに端を発する世界同時不況によって再び増加に転じ、2010年には183万人になったといいます。
そもそも「フリーター」なる語は、1987年にリクルート社のアルバイト情報誌『フロム・エー』が最初に使ったものでしたが、その当時は「フリー・アルバイター」の略で、バブル経済のもと「正社員になることを拒否して、自由に好きなアルバイトをして生活をする」という若者の新しいライフスタイルを意味していました。
現に大黒摩季は1992年の「恋はメリーゴーランド」で「夢を見て走れフリー・アルバイター」と歌っていました。
では、本当にフリーターは増えたのでしょうか。新谷康浩(「フリーター対策は妥当か」「横浜国立大学教育人間科学部紀要』六号)は、フリーターの主たる供給源とされる「高卒無業者」数を文部科学省の「学校基本調査」データから推計し直し、現在の「高卒無業者」数は1970年代とほぼ同じ水準にあること、逆にバブル期の1980年代は好景気のため「高卒無業者」数が例外的に低かった時期であることを明らかにしました。
つまり、この例外的な時期に比べて、現在「高卒無業者」が増えているという「物語」が構築されているのです。
1970年代は2次にわたるオイルショック後の不況期であり、職につかない若者は「モラトリアム人間」(小此木啓吾「モラトリアム人間の時代』中央公論社)といわれました。
さらに遡れば、漱石の『それから』の主人公の長井代助は、帝国大学を出ても就職しない「高等遊民」すなわち元祖ニートです。
この小説は明治42(1909年)から『朝日新聞』に連載されましたが、このころも日露戦争特需後の不況期で、卒業しても就職先がありませんでした。明治44年の東京帝国大学文科大学の卒業生の進路でいちばん多かったのは、「職業未定又は不詳」(81人中32人)でした(竹内洋『立身出世主義[増補版]』世界思想社)。
その多くが今でいう「フリーター」か「ニー
ト」、当時の言葉では「高等遊民」だったでしょう。
「高等遊民」とは、高等教育を受けても職がなく
親の資産などで遊んで暮らす優雅な身。
だから、今のニートとは雲泥の差ですが。
『それから』のなかで長井代助は、こんな台詞をはいています。「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ」(夏目漱石「それから」新潮文庫、182ページ)。
また、「働らくのも可いが、働くなら、生活以上
の働きでなくっちゃ名誉にならない」「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ」(夏目、前掲書、108ページ)。
いつの時代も状況こそ違っても、仕事は単にお金のためではなく、精神的な充実や名誉なども仕事を選ぶうえでは若者にとって重要なのです。
感想
マスコミによって、「物語」が構築されていたというのは、おもしろい指摘だと思いました。
下記の本を参考にしました
『ライフイベントの社会学』
片瀬 一男著