こんにちは。冨樫純です。
「集団」の意味についてのコラムを紹介します。
「集団」だけでなく、他の言葉でもこういう違和感はあると思いました。
具体的には思いつきませんが。
日本語で社会心理学を勉強していると、「集団」という用語のもつ語感のせいで、違和感を覚える事例に出会うことがよくある。
その違和感は、「男性」「女性」「黒人」「アジア系」といった社会的カテゴリーも、英語の文献にはgroup と書いてあるのを目にしたときなどに、特に強く感じられる。
実験論文に「実験参加者には、「銀行員」「公務員」「高齢者」「ゲイ」「イスラム教徒」など、多数の集団が刺激として呈示された」などと記されているのを理解するには、少々の慣れを要する。
その一因は、英語の group と日本語の「集団」との意味のズレにあるように思われる。
また、日本語であえて「グループ」という語を使うと、これまた固有のニュアンスを生じさせる。
日常語のレベルでも、日本語なら「集団」で
はなく他の語で指すであろうと思われるものでも、英語では group とよばれることがある。
「おい、そこの三人組!」の「組」や、心理学ではおなじみの「実験群」「統制群」というときの「群」あるいは「コンビを組む(解消する)」
「今回のライブのためだけに結成されたユニット」なども、すべて groupとよんでおかしくはない。
事物の場合も同様で、たとえば机の真ん中にスペースを空けるため、そこにあった多くの物を、いくつかは左のほうに、他のものは右のほうに分けて置いたとして、英語ではそれぞれのかたまりを this group、that group と比喩的によんでも違和感はない。
社会心理学で主な研究の対象となってきた「集団」とは、第一義的には、相互作用と相互依存性を基礎とした人の集まりを指す。
しかし「2つ目の顔」として挙げるように、社会的実体としての意味を付与されて、人々の認知と行動に影響を与えるものであれば、「組」であれ「カテゴリー」であれその他のものであれ、「集団」という概念のもとであれ、心理学的な考察の対象となるのである。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名