こんにちは。冨樫純です。
「代表制民主主義 」についてのコラムを紹介します。
民主主義の本来の姿は、やはり、市民全員が直接立法に参加する古代ギリシャ・ローマ型の直接民主主義にあるのかなと思いました。
18世紀後半のイギリス、ブリストル選挙区。
当選したばかりの二人の下院議員が選挙民に感謝の演説を行った。
まずは、クリューガー議員が、自分を支持してくれた選挙民に高らかに宣言する。
「選挙民のみなさんは、ご自分が選んだ議員に命令する権利をおもちです。 自分がみなさんの主人ではなく召使いであり、みなさんの意思に優越するのではなく、それに従う存在であると考えています。
私は、国政にかかわる私の活動のすべてについて、みなさんの正しい判断に全面的に従いたいと思います」
これに対し、苦戦の末当選を果たしたバーク議員は、クリューガー議員に真っ向からかみついた。
クリューガー議員の言うように、選出された議員が選出母体から発せられる指令や委任に絶対的に服従するという考えは、根本的にまちがっているというのである。
というのも、バーク議員によれば、代表者が従うべきものは究極的には自らの理性と判断力なのであって、自分に票を投じてくれた選挙民の個別の意思や意向ではないからである。
議会は、対立するさまざまな利害を代表する大使たちが集まる会議ではありません。
なるほど、こういった会議ではそれぞれが代理人および代弁者として、他の代理人や代弁者に対抗して、自らの利益を守らなければならないでしょう。
しかし、議会とは一つの利益、つまり全体の利益を代表する、国民の審議のための集会です。
そこでは、地方の思惑や偏見ではなく、有権者と代表者(議員) との関係についての二つの異なる見方が劇的に表明されている。
クリューガーの代表観は、「委任代表」と呼ばれるものである。
それは、議員とは、その議員に票を投じた選挙民という 「本人」の忠実な「代理人」であり、後者によるコントロールに全面的に服すべきだという考え方である。
それに対し、バークの代表観は 「国民代表」と呼ばれる。選挙民は議員の優れた政治的判断力を信頼して1票を投じるのであって、両者の間では、国民全体の利益を追求してもらうための一種の白紙委任が行われているとみる考え方である。
だが、この論争に遡ること12年前、フランスで活躍したジャン=ジャック·ルソーは、二人の論争を吹き飛ばすような議論を展開していた。
代表制民主主義 (間接民主主義)を採用するかぎり、それかいかなる形態をとろうとも、市民は真の主権者とはなりえないというのである。
ルソーに言わせれば、代表制民主主義を採用しているイギリス人は、「選挙の期間中には自由であるが、選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身分となり、なきに等しい存在となる」
ルソーが求めた真の民主政とは、市民全員が直接立法に参加する古代ギリシャ・ローマ型の直接民主主義に近い制度である。
民主政治においては一人一人が政治の主人公である、という言い方がよくなされる。
だが、現代の民主体制においては、代表者たちによる政治的意思決定と、一人一人の有権者の具体的な要求との間の距離はあまりにも大きい。
だからといって、市民の間に自ら積極的に政治に参加加しようという意欲が高いかといえば、必ずしもそうではない。
他にやることはたくさんあるのだから、政治は有能な政策のプロに任せたい、という意見も大いにありうる。
下記の本を参考にしました
『政治学』補訂版
(NewLiberalArtsSelection)
久米 郁男 他2名
有斐閣