こんにちは。冨樫純です。
「インディペンデント·スタディの思い出」についてのコラムを紹介します。
ぼくも、説得力のある文章を目指しているので、論理の進め方には、気をつけたいと思いました。
アメリカの大学教育には、「インディペンデント
スタディ」(直訳すれば「独立研究」あるいは「自主研究」)というのがある。
学生がある先生を自分で決めて、その先生との間で、どのような勉強をするのかを話し合い、一対一で指導を受けるものである。
留学生時代の私は、毎週一時間ほどの時間を指導教授のR先生との面談にあてた。
まもなく博士論文の執筆にとりかかろうとするときのことである。
アメリカの大学院では、通常、博士論文の執筆資格を得るために、プロポーザルと呼ばれる予備的な論文を提出しなければならない。
私は、毎回、あらかじめ渡しておいた私の下書き原稿をもとにR教授と議論をした。
R教授からは例外なく、「あいまいだ」「不明確」「論拠が不明」「飛躍がある」といったコメントが下書きの欄外に記されて返ってきた。
私としては精一杯、飛躍のないように書いたつもりの文章にである。
議論の詰めが甘くならないように、丹念に論理を重ねて書いたつもりの文章に、「あいまい」とか「不明確」といったコメントが書き込まれたのだ。
後で読んでみると、たいていは自分ではわかっていたつもりになって、結論を急いだり、自分にとっては自明であると思われた議論の前提を、誰もが共有しているかのように思って書き急いだところに、厳しいコメントがついていた。
今でも私は、こうした厳しいコメントのついた下書きを大切にしている。
それというのも、私がこの指導を通じて得たものは、まさに論理の積み重ねかた、論証の厳密さということだったからである。
下記の本を参考にしました