とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

政治哲学とは その6

 

こんにちは。冨樫純です。

 


何年か前に、ハーバード白熱教室と題したテレビ番組がありました。

そこで、人気のサンデル教授の講義を見て、政治哲学というものに興味を持ちました。

ぼくと同じように興味を持った人は多いと思います。

今になって、体系的に政治哲学を学びたいと思い、まず、ネットで調べてみました。

 


今回のテーマは、「ノージック以降のリバタリアニズム」です。

 


ロールズは伝統的な自由主義が持つ、功利主義的思想を批判しましたが、具体的な政策としては、福祉国家路線・大きな政府路線の政治を認めました。

 


しかし、こうしたリベラリズムの流れに反発したのが、リバタリアニズムです。

 


リバタリアニズムは、「自由至上主義」とも言われますが、端的に言えば国家の役割を最小限のもののみ認める、もしくは一切認めないという立場のことです。

 


もともとジョン・ロック以降の自由主義思想は、「国家が個人の自由をできるだけ侵害しない」ことを柱とする思想でした。

 


しかし、平等・公正な社会の実現のために、自由のための国家の役割が認められるようになり、アメリカでは1930年代に行われたニューディール政策以降、自由主義の意味が「自由のために国家の役割を認める(=ニューリベラリズム)」的な意味に変化します。

 


それに対して、もともとの古典的自由主義の立場だった人々が、「いやいや自分たちは国家の役割は認めたくない」と主張し、ニューリベラリズムと分かれたのがリバタリアンの人々なのです。

 


リバタリアニズムとは

 


リバタリアニズムの代表的な論者が、ロバート・ノージック(Robert Nozick)です。

ノージックの問いは、「国家の役割はどこまで認められるものなのか?」というものです。

ノージックは、まずロールズの『正義論』を、「個人が生み出した価値を国家が強制的に奪い、勝手に分配することは認められないはず」と批判しました。

 


実際の政策で言うと、徴税によって個人の所得を奪い、それを年金や医療制度、生活保護などの形で再配分することを批判したのです。

 


では、なぜ国家が個人が生み出した価値を奪い、再分配することは認められないのでしょうか?

 


ノージックは、ジョン・ロック的な思想を継承して、「権限原理」という原理を展開しました。

 


権限原理というのは、個人が持つ権利は以下の2つのものであると考えたものです。

 


①自分の力ではじめて獲得されたもの(他人のものではない)

 

②他人からあるものの所有権を、同意によって譲り受けたもの

 


上記のものには、自分に所有権があり、国家を含む他者からはどんな理由があっても奪われてはならない。そのため、国家による徴税や分配政策は正当化できないとノージックは主張しました。

 


「じゃあ社会的弱者は見捨てろってこと?」

と思われるかもしれませんが、リバタリアンによると、社会的弱者を救うのは市民による自治的な組織であり、そういった自治的な組織による救済の方が、国家による救済よりも効率がいいと主張されます。

 


下記のサイトを参考にしました。

https://liberal-arts-guide.com/political-philosophy/