とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

最貧国への援助は効果的か

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


リバタリアン VSリベラリスト

 


リバタリアンリベラリストの近親憎悪はより根深いものがある。

 


その構図を思い切って簡略化するならば、両者はアダム・スミスの「見えざる手」の評価をめぐ

って争っている。

 


「見えざる手」が「神の手」ならば、人知を超えた神の意志(市場原理)に人間が介入するのは冒漬でしかない。

 


それに対して「見えざる手」が欠陥だらけならば、市場の失敗を人間が修正して、より幸福な社会になるよう導く必要が生まれる。

 


ここに自由放任主義(レッセ・フェール)と市場管理主義の対立が生まれる。

 


リバタリアニズムリベラリズムの争いは、政治的対立という以上に経済的な論争なのだ。

 


リバタリアン的な経済政策は今日、「市場原理主義」あるいは「グローバリズム」と呼ばれている。

 


リベラルな経済政策のちがいを、アフリカの貧困問題に例をとって考えてみよう。

 


アイルランドのロックバンドU2のボーカリスト、ボノはアフリカ救済の熱心な活動家で、ローマ教皇クリントン米大統領らを説得して最貧国の対外債務を免除する「ジュビリー2000プログラム」を立ち上げ、エイズ治療薬をアフリカの患者に安価に提供する運動をサポートし、アフリカ支援を主要議題に据えた2005年サミットに合わせ、大物スターが参加する無料コンサート「ライブ8」を世界八都市で同時開催した。

 


ボノがアフリカ救済に必死になるのには理由がある。

 


飢餓とエイズ禍のためにアフリカの平均寿命は40歳以下まで落ち込んでおり、1日1ドル(100円)以下で生活する絶対貧困層の数は3億人を超えている。

 


そのうえこの状況は、年々悪化しているのである。

 


古典的自由主義派の著名な経済学者であるロバート・バローは1999年と2001年の2回、アフリカ支援についてボノと話し合った。

 


とくに2回めはボストンで行われたすばらしいコンサートの直後で、バローは26歳になるロックファンの娘とともに、ホテルのスイートルームにボノを訪ねていく。

 


そのやりとりをバローは具体的には書いていないが、このカリスマ的なロックスターに経済学者は次のように言ったと思われる。

 


「ボノ、君の音楽はすばらしいけれど、君の経済学は間違っているよ」

 


アフリカの貧困という破滅的な事態に対して、 ボノのようなリベラルな活動家は、国家の介入によって問題を解決すべきだと考える。

 


最貧国に莫大な援助を行い、対外債務が膨らんで返済不能になればそれを免除し、製薬会社に命じてエイズ治療薬を安価に販売させ、サミットでアフリカ支援を話し合う(最近では、世界の貧しさを克服する意思表示として、手首に白いバンドを巻く運動が広がっているという)。

 


どれもすばらしいことだが、ひとつだけ問題がある。最貧国への経済援助はすでに何十年もつづけられてきたが、ほとんどなんの効果もなかったのだ。

 


それに対してリバタリアン派の経済学者は、アフリカの貧困は国家によって引き起こされたのだから、国家がそれを解決することは不可能だと考える。

 


貧困を解消する可能性は市場にしかないが、先進国の援助がその市場を徹底的に破壊してしまったからだ。

 


ケニアエコノミスト、ジェームズ・シクワチは、ドイツ「シュピーゲル』誌のインタビューでアフリカ救援〟 サミットについて問われ、次のように語っている。

 


「お願いだから、もうこれ以上、援助しないでください」

 


「私たちに必要なのは援助ではなく、健全な市場経済なのです。私たちを、自分の足で立たせてください」

 


感想

 


最貧国への経済援助はすでに何十年もつづけられてきたが、ほとんどなんの効果もなかったのだという箇所が以外でした。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

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