とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

幸福の基準

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


「幸福とは何か」という問い

 


体温を計るために体温計という便利なものがある。

 


それと同じように、幸福を計るための「幸福メーター」があって、額にしばらく当てると当人の幸福度が測定できるのであれば、功利主義者にとっては大助かりである。

 


しかし、残念ながら幸福そのものを直接計る機械はまだない。

 


もちろん、人々に「あなたは幸福ですか」と尋ねることはできる。これは主観的幸福感を調べるやり方だ。

 


たとえばJGSS-2000という調査では、2000年に日本人男女約3000人に幸せの程度を五段階で尋ねた。すると、約6割が「幸せ」「どちらかというと幸せ」と答え、約3割が「幸せとも不幸せともどちらともいえない」と答え、「どちらかというと不幸せ」あるいは「不幸せ」と答えたのは1割以下だったという。

 


また、2005年に行なわれた世界価値観調査では、日本人男女約1000人に「非常に幸せ」「やや幸せ」 「あまり幸せでない」「全く幸せでない」の4択で質問したところ、全体の87.2%が「非常に幸せ」あるいは「やや幸せ」と答えた。

 


同様の調査をした25カ国のうち、1位はニュージーランド(96.4%)、2位はスウェーデン(95.9%)、最下位はイラク (52.2%)で、アメリカは5位(92.8%)、韓国は12位(87.4%)、中国は22位(76.1%)、日本は14位だった。

 


これはこれで参考になるデータだ。しかし、本人に幸福かどうかを尋ねる幸福メーターとしてはいくつか問題がある。

 


まず、本人が正直に答えているかどうかがわからない。本当は不幸だと思っていても選択肢の「不幸せ」の欄に丸を付けるのには勇気がいるだろう。

 


また、幸せだと思っていても、「非常に幸せ」に丸を付けるのはなんだか脳天気で馬鹿みたいだ。

 


そこで、つい「やや幸せ」とか「幸せとも不幸せともどちらともいえない」に丸をつけてしまうかもしれない。

 


幸福であることや不幸であることを大っぴらに言えるかどうかは、国ごとの文化差もあるだろう。

 


また、仮に調査に協力した人々全員が正直に答えているとしても、より大きな問題がある。

 


これは、本人が心から幸せと思っていても、客観的に見て幸福と言えるとは限らないという問題だ。

 


これは、本人が健康だと思っていても、実はそうではない場合があるのと同様である。

 


本人に幸せかどうかを尋ねることはある程度の参考にはなるものの、幸福メーターとしては必ずしも信頼がおけるものではないのだ。

 


一方、経済や政治の分野では、長い間、GNP (国民総生産)あるいはGDP(国内総生産)が一国の幸福メーターになると考えられてきた。

 


しかし、先進国では1960年代以降、GDPの増大が国民の幸福の増大につながっていないという指摘がなされてきた。

 


これは幸福のパラドクスと呼ばれるが、何もパラドクスというほどのものではない。衣食住のニーズを満たすためにある程度お金があることは、幸福であるための必要条件だ。

 


しかし、それだけで人が幸福になれるわけではないことは、多くの人が実感しているところだろう。

 


そこで最近、政府が政策の方向性を決める際の参考にするために、より信頼のおける幸福メーターを作ろうという試みがなされている。

 


たとえば内閣府は「幸福度に関する研究会」を2010年に発足させた。その研究会が2011年12月に出した幸福度指標試案はインターネットで読むことができる。

 


それによると、幸福度を計るさいには、人々の主観的幸福感を参考にしつつも、それに加えて、

経済社会状況、心身の健康、関係性といった客観的な指標を組み合わせるとしている。

 


複合的な幸福メーターというわけだ。

 


しかし、ここで問題が生じる。いったい、こ

れらの客観的な指標は、幸福とどのような関係

にあるのだろうか。

 


これらが幸福の要素だとすると、これらの指標に共通する性質は一体何なのだろうか。

 


この問いは少し抽象的でわかりにくいかもしれない。そこで、プラトンの『メノン』という対話篇の中でソクラテスが出した問いを例に挙げて説明してみよう。

 


ソクラテスがメノンに「徳とは何か」と尋ね

た。するとメノンは、男の徳には国政をよく行

うことや、味方を守り敵を害するといったもの

があり、女性の徳には家庭を守り男性に従うと

いったものがあると答えた。

 


ソクラテスはこの答えに対して、それは自分が尋ねたかったことではないと言う。徳と呼ばれている事柄にはどのようなものがあるかは自分も知っている。

 


そうではなく、それらの事柄すべてが徳と呼ばれるゆえんであるところの、それらに共通する性質は何なのか、とソクラテスは問い直すのだ。

 


幸福についても同じ問いが成り立つ。十分な所得や富を持つことや、心身ともに健康であることや、家族や友人を持つことは、幸福に役立ちそうなことは容易に想像がつく。

 


しかし、所得や富、健康、家族や友人といったものが共通して持つ、われわれの幸福に与える影響とは、いったい何なのだろうか。

 


これが「幸福とは何か」という問いによって尋ね

たいことなのだ。

 


感想

 


個人的には衣食住が満たされれば、それで幸福だと思います。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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人間は合理的に行動するか

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


人間はどこまで合理的か

 


功利主義的な公衆衛生活動には二つの志向があった。

 


筆者は、チャドウィックが体現していると考えられる権威主義的な公衆衛生活動は今日においては現実的ではないと考える。

 


そこで、ミルの自由主義的な公衆衛生活動を修正することにより、現代の公衆衛生活動を基礎づける規範理論を提示したい。

 


近年注目を集めている政治哲学的な立場に、リバタリアンパターナリズムがある。

 


これは、政府は人々が自らの最善の利益を追求できるように配慮するが、あくまで強制はせず、各人が異なる選択肢を選べる自由を保障するというものだ。

 


セーラーとサンスティーンがこの立場を「ナッジ」と呼んで有名になった。ナッジとは「肘でつっつく」とか「背中を押す」という意味だ。

 


ナッジと聞くと、モンティ・パイソンの有名なスケッチを思い出す人もいるだろう(知らない人はYouTubeで見てほしい)。

 


パターナリズムは本人の意思に反して何かを強制的にやらせるというイメージが強いが、ナッジはある行為を強制するのではなくそれを選ぶようにうまく誘導するというイメージだ。

 


リバタリアンパターナリズムは一見してミルの自由主義の立場に近いが、ミルにはあまり見られなかった興味深い視点があるので、それを紹介しよう。

 


リバタリアンパターナリズムは、「人間はあまり合理的に行動しない」という仮定から出発している。

 


たしかにこれはわれわれの実感に合っている。経済学者が前提する古典的な人間像は、「どうすれば自分の幸福を最大化できるか」ということをいつも考えながら思慮深く行動している人である。

 


しかし、現実にはこんな人はあまりいないだろう。多くの場合、われわれ、 は冷静に考えに考えれば選ばないであろう行動をその場の勢いでつい選んでしまうもの、とりわけこの傾向が顕著だとされるのは、健康行動である。

 


たとえば、 やせたいと思っているにもかかわらず、コンビニのレジの前にチョコレートが置いてあればついそれを買ってしまう。

 


また、体調が悪くて今日は飲酒はやめておこうと思っていても、 夜の飲み会で、「生中の人、手を挙げて」と言われると周りの人につられてつい手を挙げてしまう。

 


そしてこうした行動は、ほとんど意識されないままになされるのだ。

 


われわれが健康行動においてこのように不合理な行動をしてしまうのはなぜなのだろうか。

 


一つには、われわれはしばしば現在の快苦を過大評価する傾向にあるためだろう。

 


たとえば、食べ過ぎたり飲み過ぎたりすると、将来、肥満や痛風に悩まされる可能性があるとわかっていても、健康に関する行動の帰結の多くは年単位の間を置いて現れるため、その苦痛は軽く見積もられてしまう。

 


現在の快苦を過大評価し、将来の快苦を過少評価する。

 


このような傾向は、心理学では現在バイアスと呼ばれる。

 


また一つには、広告会社や小売店がわれわれの理性ではなく情動に働きかける宣伝を行ない、われわれはあまり考えることなしにそれに影響を受けた飲食習慣を形成しているからだろう。

 


筆者が好きな例は、以前あった某清涼飲料水の No Reason というコマーシャルだ。

 


おそらくあの宣伝のメッセージは、何を飲むかについて自販機の前で考える必要はなく、とにかくこれを飲んでいるとかっこいいからこれを飲め、というものだろう。

 


こうしたコマーシャルや広告によって、われわれが何を食べ何を飲むかは、「健康によいかどうか」という基準ではなく「好きか嫌いか」という基準によって決められる傾向が強まるのだ。

 


「ミルは、欲求が比較的安定しており、外的な影響によって人為的に刺激されることの少ない中年男性の心理を、通常の人間が持っていると考えがちであった」。

 


20世紀後半に活躍した法哲学者のH・L・A・ハートはこのように述べた。

 


つまり、ミルの合理的な人間像に反して、われわれの多くは欲求が不安定で外的な影響に左右されやすい存在であり、しばしば不合理に行為すると言うのだ。

 


そうだとすれば、ある程度まではパターナリスティックな規制をして、望ましくない選択肢を選べないようにした方が、結果的に人々は合理的に行為できるだろう、というのがハートの考えである。

 


一方、リバタリアンパターナリズムでは、人々がより健康的な選択肢を意識的に選ばうとしなくてもそうできるように環境の方を変更しようとする。

 


たとえば、コンビニのレジの前にはチョコレートの代わりにバナナを置いておくとか、生ビールはジョッキではなく、グラスやお猪口で出すのを普通にするなどだ。ただし、個人の自由を保障するために、不健康な選択肢も選択できるように残しておく。

 


この点がリバタリアンパターナリズムと通常のパターナリズムの違うところだ。

 


感想

 


ミルの合理的な人間像に反して、われわれの多くは欲求が不安定で外的な影響に左右されやすい存在であり、しばしば不合理に行為するという箇所がおもしろいと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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薬物規制と個人の自由

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


介入はどこまで許されるか

 


公衆衛生の倫理学の重要な問いは、個人の自由を尊重する社会において、公衆衛生(みんなの健康)を守るために個人の生活に介入することは、どの程度まで許されるか、というものだ。

 


この面でミルの他者危害原則に従えば、この問いに対する答えは、他人に危害を加えない限り、健康に関わる個人の行動は自由だというものだろう。

 


だが、そうすると、現在行なわれている多くの公衆衛生活動は実施できなくなる。

 


たとえば麻薬などの薬物規制は、今日の公衆衛生活動の一つであり、所有や使用が禁止されているものも多い。しかし、ミルの立場だと、麻薬を使用している人が他者に危害を加えない限りは、その人に注意したり説得したり試みることはできるものの、薬物使用を禁止したり罰したりすることはできないことになる。

 


このように、一見したところ魅力的なミルの立場は、公衆衛生という政府の重要な仕事に関しては、大きな足枷になりうる。

 


このミルの立場をどう乗り越えるか(あるいは乗り

越えずに公衆衛生活動を大幅に制限するか)が、当面のところ公衆衛生の倫理学の最大の課題となっている。

 


この問いは理論的にも実践的にも重要であるため、今日、多くの研究者の注目を集めている。

 


感想

 


公衆衛生と自由制限問題は、難しいかもしれませんが、おもしろい論点だと思いました

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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公衆衛生と自由

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


公衆衛生の倫理学

 


実は、ミルの立場だとあまりに個人の自由を尊重しすぎており、現在の公衆衛生活動の多くを正当化することができなくなる可能性がある。

 


そのため、公共政策としての功利主義は、ミルの立場を何らかの形で「乗り越える」必要があると思われる。

 


そこで、現在の公衆衛生の倫理学とその課題について素描、筆者が考える方向性を簡単に示しておこう。

 

 

 

イギリスやアメリカでは、2000年前後から公衆衛生の倫理的側面に注目が集まっている。

 


その理由として、次の二点が挙げられる。

 


一つは、感染症に対する関心の復活だ。「感染症に関する本は閉じるときが来た」。1967年に米国公衆衛生局長官がこう述べたとされる。

 


この発言に象徴されるように、以前は死病として恐れられた結核をはじめとする感染症は、第二次世界大戦後にワクチンや治療薬の開発と普及が進んだことにより、少なくとも先進国においては最も恐るべき疾病ではなくなったはずだった。

 


しかしその後、HIV/AIDSの流行や、SARS新型インフルエンザなどの新たな感染症が出現してきた。

 


また、温暖化の影響で感染地域が拡大したマラリアや従来の治療薬が効かなくなった多剤耐性結核など、旧来の感染症の脅威も高まってきた。

 


感染症の場合、他人への感染を防ぐために強制入院や隔離措置を行なったり、接触者の追跡調査をしたり、また場合によっては特定集団へのワクチン接種を義務化したりと、集団防衛のために、さまざまな形で個人の自由を制限する必要が生じる。

 


そこで、個人の自由が最大限尊重される自由主義社会において、このような制限がどこまで正当化されるのかという問いが重要になってきたのだ。

 


第二に、医学研究の進歩による考え方の変化が指摘できる。かつては脳卒中、がん、心臓病は「三大成人病」と呼ばれていた。

 


これらの病気に「成人病」という名前が付いてい

たのは、成人して年を取ったら誰でも自然になる病気と考えられていたからだ。

 


つまり、病気の原因は加齢であり、年を取るのは仕方がないことなので、健診・検診などによって

なるべく早く病気を見つけて治療を開始しましょう、という「早期発見・早期治療」が主な対策だったのだ。

 


ところが、その後の医学研究の進展により、こうした病気は食生活や睡眠・運動習慣といった生活習慣(ライフスタイル)にも大きく関係することがわかると、成人病に代わって「生活習慣病」という呼び方が用いられるようになり、病気にならないための健康増進活動が重視されるようになった。

 


すると、人々には従来のように健診・検診を受けることだけでなく、喫煙や飲酒のような生活習慣を改善することも求められるようになる。

 


つまり、公衆衛生活動は個人のライフスタイルにこれまで以上に干渉することになったのだ。

 


中年以上の読者であれば、「健康増進法」や「メタボ健診」などにより、この経緯について肌で実感している人も多いだろう。

 


ここでもまた、どこまで病気の予防や健康増進といった目的のために個人の自由を制限することが許されるかという問いが生じることになる。

 


このように、感染症対策と健康増進活動の進展に伴い、以前にも増して公衆衛生活動が個人の自由と衝突する可能性がでてきた。

 


公衆衛生を理由に個人の自由を制限することは

どの程度までなら許容されるのか。

 


この問いについて規範的な検討が必要だということから、公衆衛生の倫理学という領域が生まれてきた。

 


この分野は、病院における医師と患者の関係を前提とする「医療倫理」とは別の領域として認知されつつある。

 


感想

 


感染症対策と健康増進活動の進展に伴い、以前にも増して公衆衛生活動が個人の自由と衝突する可能性がでてきた。

 


公衆衛生を理由に個人の自由を制限することは

どの程度までなら許容されるのか。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


コロナでもまさに、この点が議論されていたと思います。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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J・S・ミルの思想

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


J・S・ミル

 


1806年に生まれたミルは、チャドウィックと同時代人であり、やはりベンサムの弟子の一人だった。

 


ミルの生涯もゴドウィンに劣らず波乱に満ちていておもしろい。

 


だが、父親による超英才教育だとか「精神の危機」だとか人妻ハリエット・テイラーとの恋愛だとかについて話し出すと大幅な脱線になるため、ここでは省略して先に進もう。

 


ミルはチャドウィックの公衆衛生活動を高く評価していたが、少なくとも次の二つの点でチャドウィックとは対照的な考えを持っていた。

 


第一にミルは、中央集権や官僚制が人々の精神に影響を及ぼすことを強く批判していた。

 


すなわち、中央政府が個人や地方政府に代わって箸の上げ下げまで指示するようになると、自主独立の気風が失われ、結果的に人々の個性の開花や社会の発展が停滞してしまうとミルは考えたのだ。

 


彼は官僚制が発達したロシアがその典型だとして、英国もこのようになる可能性があると警鐘を鳴らしている。

 


それゆえ、「能率と矛盾しないかぎりでの権力の

最大限の分散、しかし可能な最大限の情報の集中化とそれの中央からの拡散」が、あるべき中央と地方の関係だと考えていた。

 


第二にミルは、個人の利益は当人自身が一番よく配慮することができると考えていた。

 


そのため、公衆衛生活動も、パターナリズムではなく、他者への危害の防止という根拠に基づいて行なうべきだと考えていた。

 


ミルの他者危害原則については、彼の文章を引用して確認しておこう。

 


彼は『自由論』で次のように述べた。

 


文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使し得る唯一の目的は、他人に対する危害の防止である。

 


彼自身の物質的あるいは道徳的な善は、十分な理由にはならない。

 


そうする方が彼のためによいだろうとか、彼をもっと幸せにするだろうとか、他の人々の意見によれば、そうすることが賢明であり正しくさえあるからといって、彼になんらかの行動や抑制を強制することは、正当ではあり得ない。

 


つまり、子どもや野蛮人ならいざ知らず、大の大人をつかまえて、彼にある行為を強制したり、禁止し禁止したりすることができるのは、その行為が他人に危害を加える場合に限られるというのだ。

 


ミルは公衆衛生についてまとまった論文や著書を書いてはいないが、公衆衛生活動が個人の生活に立ち入ることのできる限界についても、同様に明確な線を引いている。

 


彼は次のように述べる。「公衆衛生に関する法の本来の目的は、人々が自らの健康に留意するように強要することではなく、人々が他者の健康に危害を加えるのを防止することである。

 


もし彼らが自分の健康のためだけに行なうべきことを法によって命じるならば、当然、 大半の人々はそれを圧政そのものと見なすであろう」。

 


つまり、公衆衛生活動の目的は、当人の健康のためではなく、他人に危害を与えないためだというのだ。

 


ミルは具体例として、酔っぱらいの扱いについて考察している。ミルによれば、かつて酔っぱらって他人に危害を加えたことがある人に対しては、酔っぱらうことに関して規制を加えたり、処罰したりすることが正当化される。

 


また、酒場では犯罪行為が起きやすいため、公共の秩序を守るための酒類の販売のライセンス化も正当化される。

 


ところが、「これ以上のいかなる制限も、原則として、私は正当だとは思わない」とミルは述べる。

 


たとえば、ビールやアルコール類を売る店への出入りをもっと困難にして、誘惑の機会を減らすという目的のために、これらの店の数を制限するようなことは認められない。

 


なぜなら、「それは、労働者階級がはっきりと子供か野蛮人として取り扱われ、将来自由の特権を認められるにふさわしいものとするために、束縛の教育を受けているような社会の状態にのみふさわしいもの」だからだ。

 


つまり、立派な大人を「彼ら自身のために強制する」ことは認められないと言うのだ。

 


このように、ミルの公衆衛生活動は、個人の自由と地方自治の双方を十分に尊重したものになる。

 


これは、上述した功利主義のもう一つの側面である、自由主義的志向を反映したものだと言える。

 


以上、公衆衛生というテーマに関して、功利主義者の間でもチャドウィックのように権威主義的な立場と、ミルのように自由主義的な立場に分かれることを見てきた。

 


今日では、権威主義パターナリズムが不人気であることもあり、チャドウィック流の権威主義的なものではなく、ミルのように自由主義を基礎付けるものとして功利主義を理解する立場の方が現代では主流となっている。

 


感想

 


酒場では犯罪行為が起きやすいため、公共の秩序を守るための酒類の販売のライセンス化も正当化される、という箇所がおもしろいと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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チャドウィックの発想

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


チャドウィック

 


チャドウィックはちょうど1800年に生まれた。

 


ロンドンで弁護士になる勉強をしていたところ、1820年代の終わりごろに晩年のバンサムの知遇を得ることになる。

 


ベンサムはチャドウィックを1831年に秘書として雇い、1820年代から書き始めていた『憲法典』の編纂に当たらせた。

 


ベンサム以前の公衆衛生行政は、もっぱら全国で15000以上ある教区(自治体)ごとにバラバラに行なわれていた。

 


医学史家のローゼンは「国家レベルでの保健問題を担当する中央行政機関はなく、また組織的な保健計画を基礎づける政策にもこれといったものがなかった」と述べている。

 


ベンサムは市民の幸福を最大限に実現する政府を作るために、「憲法典」で「保健省」の創設を提案し、中央集権による効率的な公衆衛生のビジョ

ンを提示した。

 


ベンサム1832年に84歳で亡くなるが、その後、哲学的急進派と呼ばれる多くの弟子たちが彼の思想を実践していくことになる。

 


そのなかで、チャドウィックはベンサムの公衆衛生に関する思想を行政官として実現しようとした人だったと言える。

 


彼は議会によって設立された委員会において、労働階級の健康状態について綿密な実態調査を行ない、その現状を世に広く知らせるとともに、ベンサムの思想に基づく形で改革の方向性を示し

た。

 


チャドウィックの業績として特によく知られているのが『大英帝国における労働人口集団の衛生状態』(1842年)という報告書だ。

 


本報告書では、労働者の劣悪な住環境や労働環境が、高い疾病率や死亡率につながっており、これが大きな経済的損失を生み出すとともに道徳的退廃を引き起こしていることが論じられている。

 


また、現行の教区任せの公衆衛生行政ではなく中央集権に基づく標準化された制度へと改革する必要性が説かれている。

 


チャドウィックは、統計的な数字を示すだけでなく具体例を交えた読み物として書く技術を心得ていたため、この報告書は政府の報告書としては異例の売れ行きを見せたという。

 


労働者の生活についての記述も、 主に本報告書によるものだ。

 


大英帝国における労働人口集団の衛生状態』の勧告に基づき、1848年に英国初の公衆衛生法が作られた。 チャドウィックやサウスウッド=スミスらのベンタム主義者は、公衆衛生法に基づき政府に設置された保健総局の中心メンバーとなり、大都市の衛生改善の指導、運営等を行なうとともに、地方の保健局を設立し、衛生改善の助言や指導を行なった。

 


チャドウィックは、科学的知識を持った専門家による統治、中央による地方政府の統制環境が人の健康に影響を与えるという衛生思想の三つの原則が重要だと考え、これらの原則に基づいて公衆衛生行政を行なおうとした。

 


実は、チャドウィックやその同僚たちは、コレラチフスなどの病気は、細菌によって人から人へと伝染するのではなく、腐敗した動植物から出る瘴気(ミアズマ)を吸うことによって感染する、という誤った医学的見解を抱いていた。

 


これは医学史においてはよく知られていることだが、コッホによってコレラ結核などの原因が細菌であることがわかるのは19世紀後半、つまりチャドウィックらが活躍した半世紀も後だから、これは仕方のないことであった。

 

 

 

しかし、労働者の健康状態の改善には、労働者の生活環境を改善する必要があるというチャドウィックの衛生思想そのものは大筋で正しかったと言える。

 


コレラの原因が瘴気であろうが細菌であろうが、

住居や職場の衛生状態を改善し、通りの糞尿を清掃すれば、感染は防げるはずなのだ。

 


またチャドウィックは、公衆衛生活動で重要なのは医学ではなく工学だと考えていた点でも特徴的であった。

 


たとえば彼は、医学的知識よりも上下水道のシステム設計の知識が公衆衛生にとって重要だとして、次のように述べた。

 


「給水と下水工事の改良による排水や街路と家屋の清掃でもっとも重要な予防法、とくに一切の有害な汚物を町から除去する安価で効率的な方法は、医師ではなく土木工学者の科学的助言によらねばならない。

 


医師の任務は、適切な行政措置が行なわれていない結果生じた疾病を検診し、犠牲者の医療に

当たればよいのである」。

 


チャドウィックは、公衆衛生上の問題は工学的手法あるいは都市設計によって解決し、医師は病気になった人の治療に専念すればよい、という基本的発想を持っていた。

 


このように公衆衛生法ができ、チャドウィックやその同僚たちは先進的な思想を持っていたものの、彼らの公衆衛生行政は実際にはうまく行かなかった。

 


労働者の健康状態の改善や疾病予防を目的とした中央政府から地方当局への介入は、権威主義的だとして批判されたばかりでなく、住居や工場への政府の介入は私有財産や個人の自由に対する不当な介入だと批判されたのだ。

 


自分の正しさを信じて疑わないチャドウィックは、こうした批判をものともせず、一切の妥協を排し、その結果あらゆる方面で敵を作った。

 


そのため、公衆衛生行政に対する批判は、主にチャドウィックへの個人攻撃の形を取った。

 


当時の「エコノミスト』では、チャドウィックは次のように批判された。

 


「彼は本質的に専制君主で、官僚なのだ。彼は人

民はよく管理されるべきだと思っているが、彼らが自ら統治する可能性を持っていることを信じない。彼は、彼ら自身のために強制するのだ」。

 


要するに、労働者の健康と幸福のためを思ってなされたはずのチャドウィックの活動は、当の労働者たちから余計なお世話だとして非難されたのだ。

 


感想

 


チャドウィックの、公衆衛生上の問題は工学的手法あるいは都市設計によって解決し、医師は病気になった人の治療に専念すればよい、という基本的発想は、個人的には説得力のある考え方に思えます。

 


しかし、当時はそうではなかったことに驚きました。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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産業革命の負の側面

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


公衆衛生と功利主義

 


2012年は英国の文豪チャールズ・ディケンズの生誕200周年だ。

 


彼の『オリバー・ツイスト』や『クリスマス・キャロル」などの小説の舞台になっているのは、まさに近代の公衆衛生が生まれようとしていた19世紀前半の英国社会である。

 


この時期、英国では産業革命の影響によって大量の労働者が都市に流入し、その住環境や工場の衛生状態が社会問題になっていた。

 


19世紀以降、ロンドンやマンチェスターリバプールといった都市に貧民街が形成されるようになり、労働者は想像を絶するほど劣悪な環境下で生活していたのだ。

 


たとえば、ロンドンで主にアイルランド人が住んでいた St. Gilesのチャーチ・レーンという通りの統計を見てみよう。

 


この通りでは、1841年には27の家屋 (平均5室)

に655人が住んでいた。単純計算すると一家屋に約24人、一部屋に約五人が住んでいたことになる。アイルランドで1845年から1846年に起きたいわゆるジャガイモ飢饉の後にはさらに人口が増え、1847年には同じところに1095人、すなわち一家屋40人以上、1部屋に約8人が住んでいたことになる。

 


このような貧民街では下水道の整備も遅れていたため、 ごみや汚物は桶で外の広場に捨てられ、山積みになって悪臭を放っていた。

 


都市人口の増大と不潔な衛生環境が原因となり、19世紀にはコレラが流行し、結核チフスも猛威をふるった。

 


それだけではなく、労働者の「道徳的退廃」も問題になった。

 


工場や炭鉱で働く労働者たちは劣悪な環境下での仕事に耐えるために、朝からジンやビールを飲み、興奮剤として嗅ぎたばこを使用していた。

 


また、「リバプールのある地下室では、母親とその成人した娘たちが、地下室の一隅で床の上のもみがらのベッドで眠り、他の隅には三人の水夫がそのベッドを占めている」というように、「労働階級の住居においては、兄弟、姉妹、および男女の同居人が、両親と同じ寝室を占めており、人道的に、見るだけで身震いする結果」が起きていたという。

 


感想

 


産業革命の負の側面を垣間見ました。

 


日本の公害問題より悲惨な気がします。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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