こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
日常生活のルール
日常生活において、なぜ相互行為儀礼が行われているのでしょうか。
ゴフマンによると、一般に人は敬意表現を自分自身に向けることはできず、他人からそれが向けられるのを求めるしかない(『儀礼としての相互行為』)。
個人は自分のイメージを完成させるのに他人たちに頼るということであって、自分だけでは自己イメージの一部しか描けない(同)。
これを受けて、奥村隆氏は論文「儀礼論になにができるか」(奥村隆編『社会学になにができるか』所収、1997年)で「ひとりではできないことがある。自分に敬意を与えること、敬意を与えてもらう儀式をすること」と述べています。
つまり人は、他者から承認されることを通じてしか自己イメージを保てないというわけです。
人は常に他者必要としていることが、日常生活におけるルールなのです。お互いに「頑張って」いることを確認し合う会話を以上のような形で解釈できます。
このように「頑張り」は、努力の中身をそれほど問うものではなく、儀礼的な側面が強いことがうかがえます。
会話の「間」を持たせ、その小さな社会秩序を成立させるための「頑張り」もあるということが確認できました。
ゴフマンによる「日常生活の社会学」の成果を参照することにより、頑張り、努力主義に対する新しい視点が得られました。
感想
人は、他者から承認されることを通じてしか自己イメージを保てないというわけです。
人は常に他者必要としていることが、日常生活におけるルールなのです。お互いに「頑張って」いることを確認し合う会話を以上のような形で解釈できます。
という箇所がおもしろいと思いました。
他者を通じて初めて自分を意識するというのは、納得できると思いました。
下記の本を參考にしました
『「頑張る」「頑張れ」はどこへいく』
努力主義の明暗
大川清文著
帝京新書