とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

眼と耳をふさぐべきか?

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


眼と耳をふさぐべきか?

 


飲食物の見た目を変えると味が変わるという錯覚をいくつか紹介した。

 


こうした錯覚は、通常ならうまくいく規則が特殊な条件のもとで使われていることを示している。

 


錯覚でない場面でも、眼や耳で捉えた情報は舌で捉えた情報と統合され、私たちが普段「味」と呼ぶものができあがっているのだ。

 


だが、以上の議論を読んでも、眼や耳の影響を否定したい人がいるかもしれない。そうした人は眼と耳をふさいで感じられるものこそ「本来の味」だと言うだろう。

 


最後に、こうした人に対するダメ押しを述べておこう。

 


2000年代のはじめ、暗闇のなかで料理を食べる「ブラインド・レストラン」というものがあったが、そこに来た客は普通のレストランよりも少ない量しか食べなかったという。

 


また、目隠しをして食事をする実験では、普段より25パーセントほど摂取カロリーが少なかったそうだ。

 


暗闇のなかでは食べる量だけでなく味やおいしさの感じ方が変化してしまうことを示す実験もいくつかある。

 


こうした変化の原因は、まさに見えないことにあるだろう。食べているものが見えないと、何を食べているか不安に思ってしまい、安心して口に運ぶことができないのだ。

 


もちろん、レストランに来た客も実験の参加者も、レストランや実験で危ないものを食べさせられるはずはないと確信できている。

 


それでも、見えないことで食べる量や感じられる味に影響が出てしまうのだ。

 


この例からわかるのは、視覚の遮断そのものが味に影響を与えてしまうということである。

 


目隠しをすれば視覚の影響を排除した 「純粋な味」が感じられるようになるわけではない。

 


食べ物が見えないときに感じられるのは、拭えない不安を帯びた味なのだ。

 


聴覚にも同じことが言えるだろう。そうすると、目隠しや耳栓をして感じられる味は口のなかで働く感覚(味覚・嗅覚・触覚)だけで感じられた「味そのもの」ではないことがわかる。

 


そこで感じられているのは、通常なら眼や耳を使って得られた情報が欠如した、情報の少なさによる不安に影響された味なのである。

 


感想

 


純粋な味を感じるのは難しいのだと思いました。

 


不安な味がするのもわかる気がしました。

 


下記の本を參考にしました

 


『美味しい』とは何か    

 食からひもとく美学入門

 源河 亨

 中公新書

 

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