こんにちは。冨樫純です。
本を紹介します。
①この本を選んだ理由
「女性と政治」というテーマに興味があり、購入しました。
②こんな本です
『さらば、男性政治』
三浦まり著
男性政治とは、男性だけで営まれ、男性だけが迎え入れられ、それを当然だと感じ、たまに女性の参入が認められても対等には扱われない政治である。
ジェンダー平等な社会を目指す推進力が生まれているが、男性政治の最後の砦、永田町がその流れを阻んでいる。
こうした日本の現実を超えて、女性も、男性も、マイノリティも、誰もが生きやすい社会への道を探る。
③ こんな言葉が印象に残りました
クオータが多くの国で実施されているとはいえ、すんなりと導入されたわけではない。
クオータに対する偏見や無理解は珍しくなく、懐疑的な見方も常に提示されている。
しかし、クオータの実践が広がっているために、その効果についての研究も蓄積され、誤解に対してはエビデンスによって反論することが可能になっている。
ここでは典型的なクオータ反対論に対する反論を述べたい。
女性に下駄をはかせる
最も強い拒否感は、クオータとは能力や経験に劣る女性に下駄をはかせるものであるという理解に由来するものだろう。
メリトクラシー(能力主義)の原則に抵触するという議論だ。もちろん、公職に就く者に対して相応しい能力、経験、見識、人格を求めることは当然である。
しかしながら、「下駄をはかせる論」は事実に反している。 クオータを導入した国において、能力に劣る女性が選出されるようになったという現象は観察されていない。
男性と同等かそれ以上の能力や経歴を持つ女性が政界に入り、議員としての活動もまったく引けを取らないことがわかっている。
政治という世界は様々なキャリアを築いてきた者が、ある時点で立候補の意思を固めて挑戦するという特質を持つ。
クオータが導入されると、女性は擁立されやすくなり、また当選しやすくなる。一般的に女性の方がリスク回避の傾向があるため、クオータが導入されると潜在的に政治に関心ある女性たちの立候補決意を促す効果がある。
「下駄をはかせる論」は、現職議員たちは能力や適性が高く、多くの女性はその基準に達していないという認識を前提としているが、本当にそうだろうか。
そもそも議員の適性とか能力とは何かについて、日本では議論が欠落している。
利益誘導に長けた人物、官僚として政策に携わった経歴、高い見識に裏づけられた将来ビジョンを持つ人、社会の弱者やマイノリティの声に耳を傾ける人など、議員の資質は多角的に論じる必要があるが、いずれにしてもどのような考え方や実行力を持った人が議員に相応しいのかに関する議論はほとんどなされていない。
(本文より引用)
④この本が気になった方への2冊はこちら
『女性のいない民主主義 』
前田 健太郎著
『自民党の女性認識』
イエ中心主義」の政治指向
安藤 優子著
興味を持ってくれた方はいるでしょうか?
興味を持った方は、是非読んでみてください。