とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

専業主婦は創り出されたものか

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  ジェンダーと分業

 


分業の問題は、男女の問題にも深くかかわっている。

 


男女の性別役割もしばしば自然な「分業」に見えるからだ。

 


実際、「男性が外で賃金のために働く、女性が家で無償労働をする」という現代社会の仕組みは、一般に、「伝統的」とか「普通」で「自然」なことだと思われている。

 


しかしこうした男女の分業も、じっくり考えてみれば、歴史的なものであることが見えてくるは

ずだ。

 


古代社会から女性たちの多くは生産労働にたずさわってきた。「そんなことはない。 狩猟の時代は男たちが狩りで獲物を捕獲してくるのを女性や子どもたちは家で待っていたのではないか」などという人もいる。

 


そんな人は、ミースの次のような言葉をどう感じるだろう。

 


人類の生存は、「男性狩猟者」よりも「女性採集者」にはるかに多くを負ってきた。現存する狩猟

民や採集民の間においてさえ、女性が日常の食料の80%を供給しているのに対して、男性は狩りによってほんのわずかな部分を提供しているに過ぎない。

 


狩猟社会でも、また農業社会においても、女性たちは、ときには男性以上に生産労働に参与して

きたのだ。

 


しかし、工業社会になると、男女の外と内という労働の場の分離が進行することになる。

 


おそらく、その最大の理由は、女性たちが妊娠・出産という生理的機能をもっていることだっただ

ろう。

 


というのも、妊娠する可能性のある結婚した女性たちは、合理的に運営される資本主義的な生産のもとでは、計算しにくい労働力であるからだ(妊娠・出産するかもしれないということは、工場労働力としてマイナスになる)。

 


また、外で働く労働力が一般化するという事態の進行は、それまで男女で担ってきた家事や育児さらに介護という労働を、専門的に担う人々に任せる必要性を生む。

 


保育所や高齢者福祉に見られるように、それが社会によって担えるのならいいが、生まれたばかりの工業社会にはそんな余裕はない。

 


そこで、こうした労働を、「主婦」という名の女性たちに担ってもらうという仕組みができあがったのである。

 


現代でもまだこうした男女の分業が「自然だ」と思われている。それが、じつは人間によってつくられた構造であるということが見えないのだ。

 


伝統、習慣、慣行、社会規範はじつは人間が生み

出したものなのに、こうしたできごとの歴史が見えにくくなり「自然」なものと思いこまれてしまのである。

 


同じ伝統、規範に従い続けると、それを「運命だ」ととらえてしまう傾向が生じやすい。

 


すなわち、女性ないし男性として生まれたら、その規範に従ってライフコースをたどるのが女らしい・男らしいことである、などと考えられるようになる。

 


その結果、女性は妻になり、子どもや夫、夫の親の世話をするのがその役目となり、男性は、仕事に励んでお金を稼ぎ、大黒柱のように一家を支えることが「自然」なことになってしまうのである。

 


多少の文化的な違いは存在するが、20世紀後半の先進国においては、働く女性が目立つようになってきたにもかかわらず、このパターンは、いまだに多くの文化において「自然な」ものとして共通に認識され続けているのである。

 


感想

 


専業主婦が時代の要請に創り出されたものてあることが理解できました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジェンダーで学ぶ社会学』  

 伊藤公雄 牟田和恵編著

 世界思想社

 

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