こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 分業の発見
近代社会を考えるとき、この分業というテーマが、多くの社会理論家の出発点であったことが見
えてくるだろう。
たとえば、18世紀にアダム・スミスが観察したピン(針) 工場での製造過程の話はよく知られている分業の事例である。
職人一人だけでピンをつくれば、一日一本のピンを完成させるのもたいへんだった状態を、10人ほどの非職人で生産工程を分けたところ、一日に4万8000本のピンの生産ができるようになったのである。
つまり、分業なしに10人がそれぞれ個別の労働で生産できるものよりはるかに多くの成果をもたらしたのである。
ここからいくつかの事実が明らかになる。
一つは、分業化すればするほど、生産のスピードが速まるということであり、もう一つは、各労働者の仕事は単純化されるということである。
簡単な仕事は誰でもできる。
また、専門性のない仕事ならば(あるいは機械を導入すれば) 高い賃金を払う必要がない。
その結果、労働コストの削減と大量生産が同時にできるのである。
スミスは、他の動物と異なって、わざわざ物を余分に生産して交換するのが人間の本能だと考え
た。
皆それぞれ個人の利益を追求するなかで、生産性を上げ、余剰分をつくりだそうという動機が生じることになる。
このように分業が「自然」に展開し、それがすすめばすすむほど、人間一人ひとりの生活は豊かになると彼は想定したのである。
実際、近代産業社会の発展は、こうした分業に
よって支えられたのは事実だろう。
こう見てくると、分業が生み出すプラスの効果は確かに否定できない。
だが分業によってマイナスの副作用が生じるということも無視できないのではないだろうか。
何よりも、近代産業社会における、分業がまるで「自然な」現象であるという考え方は、分業が職種(肉体労働や精神的労働といった区分はその代表例だろう)や階級、性別や人種にもとづくかたちで、人々の貧富の差や社会的排除を生み出しているという負の側面をおおいかくすことにもつながる。
「分業は自然である」といえば、分業によって生じる社会階級間の格差とその固定化も「自然」なものとなるだろう。
つまり、分業を「自然」であるとする見方は、各社会の分業が、その社会の差別的な人間関係や抑圧的な権力関係をつくりだしているということを見えにくくするのだ。
感想
たしかに、分業のメリットは否定できないものだと思いました。
下記の本を参考にしました
伊藤公雄 牟田和恵編著