とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

セクハラを擁護する

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


セクハラを擁護する

 


一般に「セクハラ」と呼ばれている行為について検討してみよう。

 


道を歩く女性に口笛を吹いたり、いやらしい目つきで眺めたり、卑猥な言葉を投げつけたり、嫌がる相手に言い寄ったり(とはいえ、相手が嫌がるかどうかあらかじめ知るのは、しばしば非常に困難である)することを指すのだろうが、こうした行為は、言葉の厳密な意味で、暴力による権利の侵害をともなってはいない。

 


ところがたいていの人は、とくに「女性の権利を守る」と称する人たちは、こうしたセクハラと、レイプのような暴力的な権利の侵害を区別しない。

 


もちろん、どちらも女性にとっては不愉快きわまりない出来事であろう。

 


だが、そのちがいは決定的である。

 


物理的な暴力をともなわない 「セクハラ」は、これ以外にもたくさんある。

 


女性フライトアテンダントを「スッチー」と呼んだり、満員電車でAV嬢の裸の写真が載っているスポーツ新聞を広げたり、会社のパソコンのデスクトップをビキニ姿のアイドルにしたり、30歳すぎの女性に「君って負け犬?」と訊いたり、会社の男同士で女性社員の美人ランキングをつけたり。

 


こうした、暴力的ではないが攻撃的ではあるかもしれない態度や振る舞いについて、考慮すべき重要な点は二つある。

 


第一は、こうした非暴力的な行動を法律で禁止してはならない、ということである。

 


もしそのようなことになれば、基本的人権に対する大規模な侵害が引き起こされることになるだろう。

 


言論の自由」とは、それがいかに卑猥で低能で悪趣味で神経を逆なでするようなものであろうとも、人は言いたいことを言う権利がある、ということなのだ。

 


第二の点はもうすこし複雑で、ほとんど気づかれることはないのだが、こうした非暴力的な女性差別は、国家権力の影響下にある場所で発生する確率がずっと高い、ということである。

 


公共の場所、たとえば公園や歩道や官公庁や特殊法人や各種公共団体や国公立学校などを考えてみよう。

 


これらは国家が国民から暴力的に徴収した税金によってつくられ、運営されているのだが、もしもこうした悪弊が一掃されるならば、自由な市場の力を得て、世の女性たちを悩ます数々のセクハラ行為はずっと少なくなるにちがいない。

 


具体的な例で考えてみよう。

 


ここに嫌味なセクハラ上司がいたとする。この男は女性社員の胸やお尻をいやらしい目つきで眺めたり、鼻くそをほじりながら卑猥なジョークを飛ばしたり、「合コンをやろう」としつこくき誘ったりする。

 


次に、このサイテーな上司が民間企業の管理職であった場合と、どこかのお役所の課長であった場合とを比較する。

 


その際に利用するのは、経済学で言う「補填格差」の考え方である。

 


補填格差は、「職務に付随する心理的な損失を埋め合わせるのに必要な金額」と定義できる。

 


たとえば、あなたが次の二つの職場から好きなほうを選べるとしよう。ひとつは、エアコンの利いた眺めのよいオフィスで、環境も抜群だし同僚も好い人ばかりだ。

 


もうひとつは、じめじめとした地下室で、敵意に満ちた同僚に囲まれている。

 


このような場合、 あなたが後者の仕事を選ぶ

とするならば、かなりの額の追加報酬を期待するはずだ。

 


いくらもらえば嫌な仕事をやろうと思うかは人によって異なるだろうが、奇人変人の類でないかぎり、同じ条件で不利な職場を選ぼうとは思わないだろう。

 


じめじめとした地下室ではたらく労働者を雇うためには、経営者は相応の補填格差を埋め合わせるための金銭をこの人に支払わなければならない。

 


同様に、セクハラ上司の下ではたらく女性社員にも、この補填格差は発生する。

 


セクハラが常態化している企業が、女性社員に快適な職場を提供している企業と同等の優秀な人材を確保しようと思うならば、かなりの額の給料を上乗せしなければならないだろう (キャバクラ嬢のような女性社員を高給で雇う、とか)。

 


民間会社の管理職の場合も話は同じだ。セクハラ上司は、出張のたびにブランド物のバッグや時計を買ったりして、この補填格差を自分のポケットマネーで埋め合わせなければならない。

 


さもなければ有能な部下に愛想をつかされ、昨今の厳しい世の中では、ライバルとの競争に敗れて、女性社員にリストラされる運命が待っているだろう。

 


したがってこの上司は、セクハ快適に仕事をしてもらおうと努力する強い経済的動機を持つ。

 


しかしこのセクハラ男が公務員であれば、話は別である。

 


役人は部下から嫌われてもクビになることはない。仮に補填格差のぶんだけ賃金を引き上げたとしても、その原資は税金なのだから自分の懐は痛まない。

 


彼にはセクハラをやめる理由はなにひとつないのだ。

 


これが役所や公共団体や国公立学校で悪質なセクハラが頻発する理由である。

 


同様に、職にあぶれた茶髪の若者たちが通りがかりの女性に口笛を吹いたりやじを飛ばしたり卑猥な言葉を投げつけたりする状況を考えてみよう。

 


あるグループは路上や公園など、公共の場所でこうした行為を行う。別のグループはテーマパークやショッピングモールなど民間の場所で行う。

 


この合法だがうっとうしい行動は、どちらの条件下で抑制されやすいのだろうか。

 


公共の場所では、嫌がらせをやめさせることの経済的な利益はまったく存在しない。

 


彼らの行為が法を犯してはいない以上、警察官も見て見ぬふりをするだけだろう。

 


しかし民間の場所では、女性(あるいは女性への嫌がらせを不快に思う男性)を雇用したり顧客にしたいと考えるすべての経営者は、愚かな若者たちの行動をやめさせる強い金銭的な動機を持っている。

 


その結果、こうした不快な嫌がらせは、常に路上や公園などの公共の場所で起こり、デパートやレストラン、ショッピングモールなど、金儲けを追求し、決算の数字を気にしなければならない場所ではほとんど発生しないのである。

 


感想

 


セクハラ公務員が話題になることがありますが、その理由か書かれていました。

 


そういう側面もあるかもしれないと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

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