こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 ケアを支える配慮や信頼
各種コミュニケーション行為のなかでのケアの位置づけにつづいて、心身の援助や治療として物理的な行為が行なわれるケアのなかで、具体的な会話としてのコミュニケーションがどのように営まれているのか、検討していこう。
医療場面において、もちろん治療行為の成否が中心的課題であるということはあるのだが、同時にそこにいたる医療過程が患者や家族にとって、医師や医療スタッフとのあいだでの納得できるコミュニケーションに満ちたものであったかどうかも問われるようになってきている。
医療過程が専門的に高度化すればするほど、コミュニケーションという付随的な非医療的に見える問題は重要でなくなるのではなく、むしろ、それゆえにコミュニケーションにかかわる問題がより鋭く提起されてくるのである。
単に多くの言葉が語られればよいということではないだろう。
その充実を量の問題としてだけではなく、質の問題として、あるいは深さの問題としてどう考えていくのかが問われているのである。
次のような語りがある。「担当の医師も父親がガンだったそうで懸命に治療してくれたと思う。
先生が異動で変わっても時々のぞいてくれていた様子だった。
主人の最後は自殺(病気に気づいて、私たちに苦労させると思い)だったが、その時も、どの先生も夜中だったのにかけつけてくれて懸命に治療をしてくれました、涙を流しながら。
それが一生忘れられません。
先生とはあまりお話する機会がなかったように思いますが、看護師さんにはよく気配りいただいた
ように思います。
主人にはもちろんですが、看病する私にまで気を
配っていただきました。
声を殺して毎日泣いた日々を思いだします。
ケアをする者にも心身の負担のかかる物理的な行為を支えるために、周囲の者からの配慮や言葉かけという形でのコミュニケーションが重要な背景要因となってくる。
医療・看護の場面において、医師 - 患者のキュアを中核とする治療場面も、医療スタッフ - 患者・家族といった関係者同士の目にみえない配慮や信頼という大いなる裾野によって支えられているのである。
感想
コロナ禍でエッセンシャルワーカーが話題になっていますが、そのせいもあって、ケアの重要性を感じることが多くなった気がします。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ