とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

国家が市場に介入すべきか

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


だれが土地を管理すべきか

 


功利主義的な見地から私有財産権を擁護する議論を検討してみよう。

 


ここでは、「所有者の自己責任(管理責任)」が重要なキーワードになる。

 


功利主義者は、私的財産所有こそが不動産をもっともよく活用すると考える。

 


自由な市場の「見えざる手」によって、自分の財産をきちんと管理できない者が損失を被り、不動産の活用に成功した者が資産を増やすならば、よりよい管理者がより多くの責任を負うことになる。

 


なぜなら彼は、自ら得た利益で愚かな所有者から不動産を買いとることができるからだ。

 


有能な管理者がより多くの土地を獲得し、無能な管理者が財産を失えば、その国の不動産は、総体としてより効率的に活用されるようになるだろう。

 


市場ではこうした調整がごく自然に行われる。

 


国民投票も、デモや馬鹿騒ぎも必要ない。

 


政府がこの過程に介入し、融資や助成金によって無能な人間が経営するダメ会社を支えたらどうなるだろうか。

 


不動産の利用を効率化する市場の機能は、まったくとは言わないまでも、損なわれるにちがいない。

 


どれほど馬鹿な会社であって も、国家の支援があれば経営の失敗をごまかすことができる。

 


市場に対する国家の干渉は、さまざまなかたちをとる。

 


特定の個人や団体に独占的な免許を与えた関税や輸入規制によって非効率な国内企業を外資から保護したり、特定の会社に談合させて公共事業を発注したり…..…..。

 


こうした国家の活動は、共通の目的を持っている。

 


すなわち、消費者から見捨てられ、市場から退出するほかなくなった企業を税金で養うことである。

 


無能な市場参加者を保護する政策が負の効果をもたらすとすれば、それとは逆に、有能な個人や企業がますます多くの土地を獲得できるよう国家が介入したらどうだろうか。

 


自由な市場においては、事業に成功した者こそが最良の不動産管理者である。とすれば、不動産事業に関する大規模な調査を行い、だれが成功しだれが失敗したかを見極め、負け組から勝ち組へと不動産を強制的に移転させたら、市場の調整機能を待つ必要もなく、より大きな成果が期待できるのではないだろうか。

 


だが残念なことに、国家は市場を代替することはできない。

 


市場における勝者と敗者は、多様な参加者による競争を経て、日々刻々と移り変わっていく。

 


ところが国家は、仮に市場機能を促進させようと意図したとしても、過去のある時点で市場を観

察し、そのときの敗者から土地を取り上げ、その時点の勝者に分け与えることしかできない。

 


未来は過去の単純な延長ではなく、現在の成功者がこれからも成功する保証はない。

 


同様に、「負け組」のなかに将来、大きな成功をつかむ者がいたとしても、それを知る方法もない。

 


国家による「市場促進プログラム」は、それが過去の業績にのみ基づいている以上、恣意的で不自然なものにならざるをえないのである。

 


感想

 


国家が市場に介入して上手くいく時代ではないので、余計に説得力があると感じました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

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