こんにちは。冨樫純です。
「科挙」についてのコラムを紹介します。
この時代では、いわゆる官僚になるメリットは大きかったかも知れないと感じました。
一方、現代の日本では、天下りするまで激務だと聞いたことがあるし、ぼく自身はそんなに魅力的には思えません。
優遇措置をうけ、地方社会の名士として尊敬をえることができ、土地を買い集めるにも有利であった。
官僚になった場合も、俸給以外に賄賂や付け届けなどの収入の機会は多く、科挙は富と勢力を得るためのもっとも確かな道であった。
そのため、科挙の競争は激しく、白髪頭になるまで科挙を受けつづけても合格せず、一生を受験勉強についやす人びともいるほどであった。
たとえば、唐の詩人として有名な杜甫は何回も失敗した末、40歳なかばでやっと官位につくことができた。
東アジアでは、朝鮮やベトナム、琉球が科挙の制度をとりいれた。
ヨーロッパでは、試験による官吏登用制度は近代以前にはほとんどみられず、中国の科挙をヒントに官史登用試験がおこなわれるようになった。
官史登用法の主要な方法となるのは、宋代になってからであった。
科挙の第1の特色は、出身を問わず男性であればほとんどだれでも受験できるという点にある。
長期間にわたる受験のためには才能以外に相当な経済力が必要であり、新興地主·富商などの富裕な階層の子弟に有利であったが、受験資格が一部の階層に制限されることはなかった。
第2の特色は、実務的な知識でなく、儒学の経典の理解を問うものであったというごとである。
この理由は、当時の通念からすれば当然のことであった。
官僚の監督下で実務作業をおこなう役所の事務員や、官僚に雇われて法律や財政の知識を提供する実務顧問にとって実務的な知識は必須のものであったが、本当に優れた人物は細々とした規則にとらわれず、柔軟かつ臨機応変に大局的な判断をくだすものであり、儒学経典の内容を体得していることは、徳の高い人物であることの証明とみなされた。
下記の本を参考にしました。
『新 もういちど読む 山川世界史 』
「世界の歴史」編集委員会 (編集)
山川出版社