こんにちは。冨樫純です。
心理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
温情主義的偏見やステレオタイプがダメなわけ
「能力が低く、温かい」人たちとして分類される社会集団には、嫌悪や妬みのような負の感情ではなく、共感や同情といった肯定的な感情が生じると説明しました。
ゆえに、ステレオタイプ内容モデルで定義される温情主義的な偏見に基づく差別に対して、問題に思わない人もいるかもしれません。
温情主義は、パターナリズム(父権主義・家父長制)という言葉に置きかえ可能です。
本人の意志や希望を無視して、その人よりも上の立場にいる人たちが、良かれと思ってあれこれと勝手にその人の行動や将来を決めてしまうことを言います。
ステレオタイプ内容モデルに基づいて捉えると、「温かい人たちではあるけれど、能力は低いから、(相対的に能力が高い) 自分たちが先回りをして助けてあげなければならない」という考えになります。
しかし、そのように考える時の能力の低さとは、一体どのような要素を指すのでしょうか。
また、本人の意志をそっちのけにして、なんでも先に決めてしまうことは、短期的にも長期的にもうまく機能するものなのでしょうか。
もしみなさんが中学生や高校生だったら、先生や保護者に勝手にいろいろ決められたり、自分のことをすべてわかっているかのような言動をされたりすることに対して嫌な気持ちになった経験があるかもしれません。
中学生や高校生でなくとも、親や職場の上司に似たようなことをされた経験が記憶に残っている方もいるでしょう。
さまざまな理由から、保護やサポートが必要だとしても、本人の意志を無視して構わないことにはなりません。
温情主義的ステレオタイプや偏見が反映されていると考えられる例を見てみましょう。
シュリッツというアメリカのビール会社が1952年にだした広告です。
女性(おそらく妻)が料理に失敗しているのに対して、男性(おそらく夫)が「心配しないで、ビールは焦がしてないんだから!」というようなことを言って慰めている、という描写です。
これをみて、みなさんはどう思ったでしょうか?
失敗した女性を男性が慰めているのだから、問題はない、と思いませんでしたか?
これがまさに温情主義的偏見に気づきにくいポイントです。
確かに、この2人に限定した個別の関係性(Aさんの失敗をBさんが慰めている)においては問題ありません。
しかし、広告は一般的に多くの人の共感や興味を得ることを念頭に設計されるものであり、ここで描写している2人は、AさんとBさんという単純な2者関係ではなく、女性と男性という2つの社会集団の関係性が反映されているとも捉えられます。
そうすると少し違った見かたができます。
つまり、若い女性は料理に失敗する=能力が低い、というステレオタイプ的描写が含まれていると考えられるのです。
加えて、結婚したら料理は女性が作るのが当たり前、という伝統的性役割に基づくステレオタイプ(規範的ステレオタイプやジェンダーステレオタイプと言います)も含まれていなるでしょう。
このような説明をすると、時々「うちは妻(お母さん)が家庭のことをして、夫(お父さん)が外で仕事をしているけれど、お互いそれぞれの生活に満足しており、円満にやっている。なぜそれを責められなければならないのか」と反応されることがあります。
注意していただきたいのは、ここまでに説明した内容は、とある夫妻の、とある事例について批判したり責めたりしているものではなく、社会集団としての男性、女性の役割の固定化がもたらす問題を扱っています。
特定のカテゴリー(この場合、性別) に基づく役割の固定化は、男性と女性というカテゴリーの関係性が社会の中で維持され続けることにつながります。
あらためて考えてみると、広告では、特定の社会集団に対するステレオタイプや偏見を助長するような描写が多いように思います。
今回例に挙げたビールの広告は少なくと現在のアメリカ社会では性差別的だということで採用されないでしょう。
しかし残念ながら日本ではいまだに、ここまでのものとはいかずとも、類似した問題が話題になることがあります。
日本は世界経済フォーラムが発表した2021年のジェンダー・ギャップ指数が156カ国中120位です。
まだまだジェンダーステレオタイプに基づく広告を、それだと気づかず世に出してしまう構造が存在するのでしょう。
みなさんもぜひ、消費者として広告を見る際に、そこにステレオタイプ的描写が含まれていないか意識してみてください。
また現在、そして将来、広告を作る立場にある人は、特定の社会集団に対するステレオタイプや偏見が広告に含まれていないか、ぜひ一呼吸置いて考える時間をとってみてください。
広告は、短い時間でそれを見る人の注意を引きつける必要があるため、物事を単純化して理解するステレオタイプとの相性が良いとも言えます。
しかし、より大きな視点で見てみると、ステレオタイプに頼った描写は、社会全体に不利益をもたらす諸刃の剣かもしれないのです。
なお、性別による役割の固定化は、多くの場合、女性が不利な立場の存在として記述されます。
しかし同時に、男性の選択の幅も狭めているという点も忘れてはいけません男性にしばしば押し付けられるステレオタイプは、「泣き言を言わない」とか「結婚したら妻と子どもを養えるだけの収入を得なければならない」とか、でしょうか。
父親として子育てに積極的に参加したくとも、周囲にジェンダーステレオタイプを強く持っている人が多いと、それが叶わないかもしれません。
私は現在子育て中ですが、職場や公共の場での女性の育児支援は充実してきてありがたく思う反面、男性は積極的に育児に参加しようとしている人ほど職場での評価の低下や公共場面での育児サポーの欠如で苦しんでいるようにも見えます。
たとえば男性トイレに赤ちゃんのオムツを交換するスペースがないと、父と子だけでは出かけにくいでしょう。
環境面でも、男性の育児参加をサポートする必要があります。
感想
たしかに、よかれと思ってやったことがかえって迷惑になることもあると思いました。
下記の本を參考にしました
『「心のクセ」に気づくには 』
社会心理学から考える
村山 綾