とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

厚生功利主義とは

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


幸福=利益を充足させることか

 


当人が現に抱いている選好を充足することは必ずしも幸福につながるわけではない。

 


そこで、本人の選好よりも本人の利益やニーズを満たすことが幸福につながるという考え方が出てきても不思議ではない。

 


この場合の利益やニーズは、本人の意思とは基本的に関わりなく、客観的に決まるものだとされる。

 


この考え方に則るならば、功利主義者がすべきことは、諸個人の快楽や選好を満たすことではなく、諸個人の利益を最大化することとなる。

 


この立場は、「厚生功利主義」と呼ばれることがある。

 


この立場の大きな利点は、「効用の個人間比較」の問題を回避できることだ。快楽や選好充足を幸福と考えた場合、「わたしの快楽や選好の強さと、あなたの快楽や選好の強さを、どうやって比較できるのか」という問題が出てくる。

 


たとえば、わたしとあなたが仲良しの高校生で、夏休みに一緒に何をするかを決めているとする。

 


わたしは大学受験のために勉強するよりも北海道を一周したいと思っているが、あなたは北海道を旅行するよりも大学受験のために勉強したいという。

 


この場合、わたしが大学受験よりも旅行を選好していることと、あなたが旅行よりも勉強を選好していることは明らかだが、旅行したいというわたしの選好の強さと、勉強したいというあなたの選好の強さを正確に計って比較することはできない。

 


喧嘩して決めることもできるかもしれないが、喧嘩の強さは選好の強さと必ずしも一致しないだろう。

 


同じ問題は快楽についても生じる。快苦メーターという架空の話をしたが、快苦メーターにせよ選好メーターにせよ、理論的には、わたしのメーターと、あなたのメーターの尺度を共通にするのは、快楽や選好の強さが本質的に個人的な経験であるために、大変難しいのだ。

 


これが「効用の個人間比較の問題」と呼ばれるものである。

 


一方、本人の利益というのは、本人がそれを現に選好するかどうかに関わらないため、こうした問題は生じない。

 


わたしにとってもあなたにとっても、勉強して大学に入ることが利益であるならば、わたしやあなたが実際に何を選好しているかにかかわらず、勉強することが幸福につながると言える。

 


このように、利益やニーズは、快苦や選好よりも客観的なものであり、人間である限り等しく幸福に役立つものと考えられる。

 


そのため、選好や快苦につきまとう個人間比較の問題が回避できるのだ。

 


この立場の最大の問題は、人々の利益について真に客観的なリストを作るのが難しいということだ。

 


快適な住居や食事、家族や友人、健康や自由や余暇というのは、おそらく誰にとっても当人の利益となると思われる。

 


しかし、美的な経験はどうだろうか。オペラ鑑

賞あるいは名画鑑賞は人々の幸福のために必要だろうか。

 


また、政治参加はどうだろうか。一部の人は政治参加なくして幸福なしと主張するかもしれない。

 


では、やりがいのある仕事はどうだろうか。やりがいのある仕事がなければ、人間は幸福になれないのだろうか。

 


だが、政治参加ややりがいのある仕事までを利益のリストに入れると、合理的な選好の場合と同様、「これがあなたの幸福に必要なのだから」と外部から押しつけるような理論になってしまう危険がある。

 


仮にこのような利益のリストが過不足なく作られ、みながそれに合意することができればよいが、どんなリストを作っても多すぎる、少なすぎると論争が起きる。

 


もっとも、この考え方は政治レベルではかなりうまく行くだろう。人間の幸福につながる利益のリストに比べて、不利益のリストは合意が得やすい。病気や貧困、戦争や飢餓などは、まず間違いなく誰の幸福にとってもマイナスだ。

 


最小不幸社会」を作るという発想は、幸福へのこうした障害を取り除くことを政府の主要な目標にするということだ。

 


最小不幸社会という考えは、当時は消極的すぎると批判された。だが「宗教的生活こそが人々の利益になる」と考えて最大幸福を主張するような人に比べれば、穏当な主張で皆が支持しやすいだろう。

 


政府の役割は幸福を増やすというよりは不幸を減らすことだというのは潔い立場だ。

 


このように見てくると、利益や不利益の客観的リストを作るという発想は、ある程度までは魅力的である。

 


とはいえ、やはり幸福論としては次のような問題が残る。この立場は、個人が幸福になるための基盤を提供しているだけで、「幸福とは何か」という根本的な問題には答えていないように見えるのだ。

 


言い換えると、健康や住居や安全など、誰にとっ

ても幸福になるために必要なものがあり、それを過不足なくリスト化して提供しようといのがこの考え方であり、ではいったい幸福とは何なのかという最初の問いには、幸福に役立つ事柄のリストを作成した以上には答えていないことになる。

 


感想

 


厚生功利主義は、説得力があるとぼくは思います。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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