こんにちは。冨樫純です。
「鉄道旅行と読書」についてのコラムを紹介します。
たしかに旅行において、目的地までいかに速く着くかが大事になっている感じはします。
現代の旅行は実に速い。そしてかなり長い旅をしている間、次々に代わる新顔と出会い、目的地に着くまで、一言も言葉を交さずに旅行を終えることがしばしばだ。
特に話し合う気がなければ、話し合えるのはせいぜい知り合いぐらいで、また話し合う気があっても、乗りあわせた客が無愛想なために、その気をそがれることが多い。
だからこの点で、鉄道は習慣や道徳をすっかりと変えてしまったと確信できる。
数時間、時にはまた数日間、一緒に過すことがよくわかっていた昔は、乗合客とは親密にして、その付き合いは旅のあとも続けられることすらあった。
今日では旅人は目的地に早く着くことばかり考えて、いらいらして過すだけだ。
一緒に車室に乗りこんだひとは、次の駅で降りてしまい、その代りに別のひとが入ってくるかもしれないのだ。
こういう理由で読書が必要になってくる。
W.シヴェルブシュ「鉄道旅行の歴史」(Schivelbusch 1977=1982: 86)
鉄道は公共空間を作り出すメディアであった。
鉄道はかつての親密空間における「習慣や道徳をすっかりと変えてしまった」 のである。
鉄道はこの新しく生まれた公共空間における新しい習慣として車内読書を作り出した。
W.H. スミスが1848年にロンドンのユーストン駅で新聞や書籍を販売したのが、駅構内で新聞や書籍が売られるようになったはじめである (Schivelbusch 1977=1982: 82)。
日本でも1872(明治5)年の鉄道開業とほぼ同時期に駅構内での新聞の販売が始まった(永嶺 1997: 44)。
下記の本を参考にしました
『社会学』
新版 (New Liberal Arts Selection)
長谷川 公一 他2名